東京五輪の組織委員会の委員長のよくない発言が日本の国内だけではなくて海外でもとり上げられている

 議論に参加する女性の数が多くなると、議論をする時間がよけいに長びく。女性は競争心が強いから、一人の女性が発言をすると、ほかの女性もそれに負けじと発言を行なう。そうしたことがあるから議論に参加する女性の数は多くないほうがよい。森喜朗氏はそう言ったという。森氏は二〇二一年の東京五輪組織委員会の委員長をつとめている。

 森氏が言ったことは日本の国内だけではなくて広く海外にまで波紋がおきている。森氏がたずさわる五輪の理念に反したことを森氏が言ったことからふさわしくないとする声がおきている。

 森氏が女性について言ったことにはどのようなまずさがあるだろうか。そこには何々である(is)から何々であるべき(ought)を導く自然主義の誤びゅうが見うけられる。それにくわえて自由主義(liberalism)において普遍化の可能性の試しをしてみたさいに普遍化できない差別がおきてしまう。

 女性であることから、その事実をもってして、競争心が強いので他の女性に負けじと争い合うとはいえそうにない。ひと口に女性といっても、性には肉体の性(sex)と文化の性(gender)の二つがあるとされる。文化の性では女性らしさや男性らしさがあるとされるが、どの人がどれくらいの女性らしさをもっているのかは人それぞれでちがう。それぞれの人が持っているらしさの度合いはまちまちだ。

 性において女性と男性とはお互いに関係し合う。関係主義では関係の第一次性が言われている。女性がいなければ男性はいないのがあるから、お互いに依存し合う間がらにあると言えるものだろう。かならずしもはっきりと女性と男性とのあいだにきっちりとした線を引きづらくなっていて、そのあいだの分類線が揺らいでいるのがある。女性そのものや男性そのものとして、それらを本質をもった実体としてしたて上げたり基礎づけたりすることはできづらい。本質主義によらないのだとすれば本質に先だつ実存性を実存である個人はかかえる。

 女性か男性かは何々であるの事実に当たるものだ。その何々であるの事実をもってしてそこから何々であるべきの価値を導かないようにしたい。何々であるの事実から何々であるべきの価値を導いてしまうと、女性か男性かの事実が何々であるべきの価値を含意することになってしまう。

 国の中の人口が一億人いるとすればその中の半分が女性だ。およそ五〇〇〇万人くらいいることになるから、その量をくみ入れるようにしたい。五〇〇〇万人の量のすべてがまったく同じ質をもっているとは言いがたい。それぞれの人がそれぞれによってちがっているのがあるから、五〇〇〇万人の量の中にはさまざまな質があるはずだ。

 自分で選んだのではないのが性のちがいだから、そのちがいをもってして何々であるべきの価値を決めつけてしまうと普遍化できない差別がおきることになる。普遍化の可能性の試しをしてみるとすると、自分で選んだのではない性のちがいから価値を決めつけるのは普遍化することができない。

 女性と男性の平等は五輪の理念になっているもので、その理念は倫理にかなっているものだろう。倫理にかなっている五輪の理念に反することを森氏が言ったのであれば、森氏が言ったことは倫理的ではないことになる。倫理的ではないことになるのは、自由主義において普遍化の可能性の試しをしてみたさいに、普遍化することができない差別に当たることによる。社会の中でそれなり以上に高い地位についているのであれば、あるていど以上の倫理性が求められる。

 性のちがいには女性か男性かの二つの範ちゅうが大きくはあるが、どの範ちゅうに属するのかは何々であるの事実のことがらだ。その範ちゅうについてと価値についてを分けて見るようにしたい。範ちゅうについてと価値についてを結びつけてしまうと、どの範ちゅうに属しているのかによって価値が決められてしまうことになる。同じ範ちゅうの中であったとしてもいろいろな価値があるからたった一つの価値をもつのではないだろう。できるだけ範ちゅうと価値を結びつけてしまわずに切り分けてみるようにしたい。

 よくない発言を森氏がしたこととそれへの森氏による謝罪(らしきもの)からうかがえることとしては、日本の社会の中で性のちがいによる階層(class)の格差が固定化されてしまっているのがあげられる。性のちがいによる階層の格差が日本の社会にはあり、それが固定化されてしまっているのだとすると、それを改めて行くようにしたい。それを改めて行く動機づけがいちじるしく低いことが森氏の発言とそれへの森氏による謝罪(らしきもの)からは読みとれる。これは森氏のことだけではなくて、日本の社会にもまた言えることである。階層の格差を改めて行く動機づけがいちじるしく低くて、格差が温存されてしまっているのが現状だろう。そこが改まるようになればよい。

 参照文献 『天才児のための論理思考入門』三浦俊彦 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『社会階層 豊かさの中の不平等』原純輔(じゅんすけ) 盛山(せいやま)和夫 『ぼくたちの倫理学教室』E・トゥーゲンハット A・M・ビクーニャ C・ロペス 鈴木崇夫(たかお)訳 『女ざかり』丸谷才一