自由主義(liberalism)から見た、政党たたきつぶし問題

 立憲民主党を、たたきつぶす。野党である日本維新の会の代表はそう言う。

 立憲はたたきつぶすけど、与党である自由民主党とはお互いに切磋琢磨し合う。維新の会の代表はそう言っている。

 立憲や自民党について維新の会の代表が言っていることをどのように受けとれるだろうか。

 上の者には弱気で、下の者には強く出る。それが見てとれるのが維新の会の代表の言っていることだろう。自民党のことを批判できない。おくびょうさがある。抑圧の移譲(いじょう)だ。

 事実と価値の二つにふ分けしてみたい。立憲民主党は、たんに有るのだとできるのにとどまる。何々であるの事実(is)にすぎないのが立憲民主党だ。そこから自動で何々であるべきの価値(ought)をみちびいてしまっているのが維新の会の代表だ。

 自然主義の誤びゅうにおちいっているのが維新の会の代表である。立憲民主党や野党の日本共産党などは、何々であるの事実にすぎないものだから、そこから価値を自動で導くことはできそうにない。

 無いのではなくて、あるのが左派の野党だ。事実としてあるのが左派の野党なのだから、政党どうしでお互いにやり取りをし合う。交通(communication)をし合って行く。野党どうしで共闘し合って行く。そうするようにすることがいる。

 おたがいに切磋琢磨し合うとしているけど、自民党と維新の会とは、お互いに対立し合っていない。自民党と維新の会のあいだには対立はないのだから、協調しかなくて、政治は無い。

 維新の会と立憲民主党とのあいだには対立があるから、政治がある。維新の会と共産党とのあいだにも対立があるから、政治がある。

 対立し合う者どうしで、敵に当たる者がいる。敵に当たる者を排除して行く。それだと民主主義ではなくなってしまう。民主主義においてはよき好敵手(rival)はいるけど敵はいない。排除するべき敵はいないのが民主主義である。

 民主主義からいつだつしてしまっているのが維新の会の代表が言っていることだ。できるだけ民主主義によるようにしていって、対立し合う者とやり取りし合う。交通し合うようにして行く。よき好敵手として見なす。

 いくら対立し合っているのだとしても、対立するだけだと良くない。協調することもなければならない。維新の会は立憲民主党共産党などと対立するだけではなくて協調をすることがいる。左派の政党と協調することがいる。

 自然主義の誤びゅうにおちいるのを避けるようにしたい。その誤びゅうにおちいってしまうと非論理になる。論理によっていないのが維新の会の代表が言っていることだ。

 中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義(liberalism)である。自由主義の視点の反転の可能性の試し(test)をしてみると、どのような政党や政治家であったとしても、他から一方的にたたきつぶすと言われるのは許容できそうにない。たたきつぶすと言われることはどのような政党や政治家であったとしても受け入れられないものだろう。

 普遍化できない差別に当たるのが、維新の会の代表が言っていることだろう。普遍化できない差別は排除することがいる。特権や差別をなくして行く。自由主義からすると特権や差別があるのは良くないから、なくして行くようにしたい。

 論理や自由主義や民主主義によるようにすることがいる。それらによるようにするためには、いまの日本の憲法を守って行く。憲法ではそれらが良しとされているから、憲法をないがしろにするとまずい。

 参照文献 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『リーダーは半歩前を歩け 金大中(きむでじゅん)というヒント』姜尚中(かんさんじゅん) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代政治理論』川崎修(おさむ)、杉田敦(あつし)編 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『政治の見方』岩崎正洋 西岡晋(すすむ) 山本達也