かくされた問題点に焦点をあてた万博の実像

 どのような報道をすれば、万博についてのかたよりの無い報じ方になるのだろうか。

 二〇二五年に関西で開かれることになっているのが日本国際博覧会である。

 正と負があるなかで、正にかたよりがちなのが万博についての報道だろう。負がとり落とされてしまっている。

 あたかも正のものであるかのように、万博が基礎づけられたりしたて上げられたりしてしまう。報道の中で万博はそのようにあつかわれがちだ。基礎づけ主義である。

 どこからどう見ても、誰がどう見ても、正のものであるとは基礎づけたりしたて上げたりできづらいのが万博である。負のところが少なからずあるのはいなめない。

 ごみを埋め立てたところで行なわれるのが万博だ。ごみからメタンガスが出ていて、爆発する事故がおきた。会場を建てているとちゅうでその事故がおきた。どこでもガスによる爆発がおきかねないのがもよおしの万博なのである。危なっかしいもよおしだ。

 どちらかといえば、批判しすぎるのではない。無批判になりすぎているのが万博についての報道だ。批判しすぎなのではなくて、無批判になりすぎている。本質がぎんみされていない。

 すごくよいもよおしであるかのようにされているのが万博だけど、そこまでよいものだとは言えそうにない。すごくよいもよおしだとするのは、否定の契機の隠ぺいだ。

 報道の中において、万博がもつ否定の契機が隠ぺいされている。否定の契機を隠すのではなくて、それを明るみにするような報道をしなければならない。

 中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義(liberalism)だ。はたして万博についての報道は自由主義によれているのかといえば、それによれていない。かなり立ち場がかたよっているのである。万博をよしとする立ち場にかたよりすぎだ。

 いろいろな立ち場があってよいのがあるから、万博をよしとするのがあってよいけど、そのさいに認知のゆがみがはたらく。肯定性(確証)の認知のゆがみだ。

 万博をよしとする立ち場だと、万博の良いところしか目に入らなくなる。万博がもつ悪いところが目に入らなくなるのである。あたかもよいところだけしかないのが万博だといったことになってしまう。

 まったく何の問題もないのが、もよおしの万博だとはできそうにない。少なくとも、会場でガスの爆発がいつでもおきかねない問題をもつ。費用と効果で、大きな経済の効果があると言われているものの、じっさいには費用が上まわってしまい、赤字になるおそれがある問題もある。

 いくつもの問題を見つけて行く。どんどん問題を見つけていって、問題化して行くようにする。問題を見つけて行くうえでは、時制があり、ある問題(過去形)、あらしめる問題(未来形)、あるかもしれない問題(未来形)がある。

 顕在(けんざい)と潜在(せんざい)の二つでは、すでにいくつかの問題があることがわかっているのが万博だ。けん在化されている問題がいくつかある。まだかくれている問題がいくつもあるかもしれないから、せん在化しているものもあるだろう。

 とんでもなく良いもよおしとはできづらいし、とんでもなく悪いもよおしともできづらいのが万博かもしれない。反基礎づけ主義からすると、とてつもなく良いとかとてつもなく悪いとかとは基礎づけたりしたて上げたりできづらい。良いところだけとか悪いところだけとはできないだろう。

 正と負がある中では、報道において、負がとり上げられづらい。正だけによるのが万博なのだとするような報道は良いものではない。負をきちんととり上げるような万博の報じ方であることがいる。正はとり上げられやすいが、負はとり落とされやすいのが万博についての報道にはある。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫現代思想を読む事典』今村仁司編 『問題解決力を鍛える 事例でわかる思考の手順とポイント』稲崎宏治(いなざきこうじ) 『トヨタ式「スピード問題解決」』若松義人 『ホンモノの思考力 口ぐせで鍛える論理の技術』樋口裕一 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『超常現象の心理学 人はなぜオカルトにひかれるのか』菊池聡(さとる)