抑制を忘れた日本の経済と政治のゆくえ

 日本の経済をよくして行く。

 経済をよくするために、当たり前のことをやって行く。積極の財政だ。国の財政でお金(借金をふくむ)をどんどん使って行く。

 あたり前のことをやれば、日本の経済はよくなって行くのだろうか。

 ほんとうに芯のところにあることなのではなくて、芯からずれてしまう。ずれたことが言われてしまう。

 まさに芯に当たることではないものが、あたかも芯に当たることであるかのようにされてしまう。ずれがおきることになる。

 ずれているもののほうが、受けがよい。人々からの受けがよいことが言われることになり、どんどん芯からずれて行ってしまう。芯からのずれが大きくなって行く。

 受けが必ずしもよくないのが、芯に当たることだ。派手さはなくて、地味なことなのが芯に当たることだから、それを言っても人々からの受けがよくない。受けがよくないことは、わきに置いやられてしまう。

 どういうことが芯に当たるのかといえば、抑制と均衡(checks and balances)だ。抑制をかけて行く。抑えをきかせることは、人々から受けがよくない。それよりも抑えをとっ払ってしまうようなことのほうが受けがよい。

 中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義(liberalism)だ。芯に当たるようにできやすい。抑制(よくせい)と均衡(きんこう)をかけることがのぞめる。自由主義がこわれると、抑制がかからなくなってしまう。専制主義になる。芯からどんどんずれて行ってしまう。

 頭が良ければ、芯から外れて行かないようにできる。なるべく芯に近いところにいつづけようとする。頭がばかだと、芯からどんどん外れていってしまう。

 頭がかしこければ、抑制をかけて行くことの大事さをふまえられる。頭がばかだと、抑制をかけることの値うちがわからない。抑制なんてとっ払ってしまったほうが良いのだとすることになる。

 集団はばかになりがちだ。集団の浅慮(せんりょ)だ。危険性への移行(risky shift)がおきる。集団の思考(groupthink)だ。集団(社会)の心理としてそうしたことがおきる。

 経済を良くする上で気をつけないとならないのは、芯からどんどんずれていってしまうことだろう。芯からずれたことがやられてしまう。そうすると、集団の浅慮のまずさがおきる。危険性への移行になる。

 少しの芯からのずれだったら気がつきづらい。それがつもりつもって、気がついてみたらとんでもなく芯からずれていってしまっていた。抑制がぜんぜんかからなくなってしまっている。それがいまの日本のありようであるかもしれない。

 なんで抑制をかけることが大事なのかといえば、それがえてして外れやすいからだ。集団の浅慮がおきやすい。危険性への移行がおきるあやうさがある。芯から外れてしまいやすいのがあるけど、これまでの日本はその動きがおきている。それで今にいたるのである。

 芯に近づいていって抑制をかけて行くのではなくて、その逆に芯から外れていって抑制をとっ払っているのが日本だろう。そこに少なからぬ危なさがありそうだ。抑制をかけて行くことの値うちが見失われている。

 自由主義によって抑制をかけることをやらないと、経済にせよ政治にせよ、下手をするとはめつがおきかねない。はめつしたあとになって、抑制をかけることの値うちに気がついてももはや手おくれだ。その時になって気がついてももうおそい。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『すべての経済はバブルに通じる』小幡績(おばたせき) 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち)