政権とはちがうことを専門家が言うことは越権なのか―表象としての政治家

 あきらかに越権の行為だ。政権とはちがうことを言った専門家は、許容されることを超えたことを言った。経済学者はテレビ番組の中でそう言ったという。

 東京都で夏に五輪をひらくことをおし進めているのが政権だが、それに止めをかけることを言ったのが専門家だ。政権に助言を与える専門家の集団の長は、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染の広がりが増えることに危機感を抱いている。

 経済学者がテレビ番組の中でいったように、専門家は許容される範囲を超えたことを言ったのだろうか。政権と同じことを言うのでないと、専門家が何かを言うことは許容されないのだろうか。その点についてを自由主義(liberalism)から見てみたい。

 経済学者がテレビ番組の中で言ったことは、むしろ逆であるといえる。むしろ逆に見てみなければならない。専門家が越権のことを言ったとしていましめるのが経済学者だが、その逆に政権とはちがうことを専門家が言うことをもっとうながすべきである。

 政権とはちがうことを言ったのが専門家だから、出る杭になって目だつ形になることで、専門家に焦点が当てられてしまっている。目だつ形になった専門家に焦点を当てるのではなくて、政権に焦点を当ててみることがいる。

 専門家ではなくて政権に焦点を当ててみると、政権は国民の代表であり表象(representation)だ。国民そのもの(presentation)とまったくぴったりと合っているのではない。政権は表象なのだから、政権がやることがすべて正しいといったことになるのはまずい。政権がやることはすべて正しいのだから従えとなると独裁主義になる。自由主義からかけ離れて行く。

 自由主義の点からすると、独裁主義になってはまずい。政権だけが正しいとなって独裁主義になってはまずいのがあり、政治の権力が分散されるようにしたい。抑制と均衡(checks and balances)がかかるようにしたい。

 政権とはちがうことを専門家が言うことを越権として、許容される範囲にはないことだとしてしまうと、権力が分散されなくなる。一権や一強となる。一権や一強のあり方を改めるようにして、政権とはちがうことを言うことが許容されるようにして行く。政権と関わりがある専門家であったとしても(そうであるからこそ)、政権とはちがうことを言うことが許容されるようにして行きたい。

 許容される範囲をせまくして、政権がやることと同じことだけがよしとされるのは、政権がものごとをおし進めて行くのには都合がよい。政権がやることが前に進みやすくはなるが、まちがったことを政権がやるのに歯止めがかかりづらい。抑制がかかりづらい。

 表象なのが政権だから、国民そのものとはぴったりとは合っていなくてずれがある。表象であることによって政権は危険性を抱えもつ。国民に暴力をふるう危険性をもつのが政権だから、立憲主義によって歯止めをかけることがいるものだろう。

 国家はその地域の暴力を独占しているのがあり、国家装置である軍隊や警察を使ってでも国民に言うことを聞かせようとする。さいごには暴力にうったえてでも国民に言うことを聞かせようとするのが政権だから、そこの危なさを見てとるようにしたい。

 安全で安心な五輪を行なうとしているのが政権だが、五輪のことはさしあたって置いておけるとすると、安全でも安心でもないのが政権だ。安心でも安全でもないのが政権なのは、政権が表象だからであり、国民そのものとぴったりと合っていないでずれを持つ。その地域の暴力を独占している裏の社会のごとき性格を持つのが政権だから、政治の権力はなるべく分散されていたほうがやや安全だ。

 いざとなったら暴力をふるってでも国民に言うことを聞かせるのが政権だから、そのことをくみ入れるとすると、政権とはちがうことを言うことが広く許容されたほうがよい。政権とはちがうことを言うことの許容の範囲をできるだけ広げて行きたい。許容される範囲がせばまってしまうと政権がまちがったことをするさいに歯止めや抑制がかかりづらい。

 力づくで政権のやることを専門家が止めようとするのであれば越権かもしれないが、たんに政権とはちがうことを言うくらいであれば許容されてよいのではないだろうか。専門家がよしとすることを力づくで政権にやらせるのであれば越権に当たるかもしれないが、そうではなくてたんに政権とはちがうことを言うくらいなのであれば、たんに政権とは異なる視点の一つを示したのにすぎないともいえる。

 政権がよしとしている視点だけによるのであれば、たった一つの視点しかとられない。視点が一つだけだと他のものをとり落とす。政権は自分たちがよしとしているたった一つだけの視点によるのではなくて、もっと自分たちで進んで視点を増やすようにするべきだ。その努力を怠っているために、政権とはちがう視点を専門家がしめすことがいるようになった。政権の怠慢に悪いことのもとがあるのだと見なしたい。

 政権は自分たちの視野の狭窄を改めて、少しでも視野を広げるようにすることが国民のためになるのではないだろうか。たった一つだけではなくていくつものちがった視点をとるようにして、政権とはちがったことを言うことが広く許容されるようにして行く。いろいろにちがったさまざまな視点をとることの必要性があるから、政権とはちがうことを言うことが許容されることがあってよいものだろう。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『日本国民のための愛国の教科書』将基面貴巳(しょうぎめんたかし)