専門家による乱はなぜおきたのか

 なぜ専門家は乱をおこしたのだろうか。それを見てみたい。

 与党である自由民主党の政権とは少しちがうことを、専門家の集団の長は言った。東京都で夏に五輪を行なうことをおし進めているのが政権だが、条件によってはそこに危なさがある。危なさがあることを専門家の集団の長はさし示したのである。

 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染の広がり方しだいによっては、五輪を行なうことは日本の社会に害や損をなすおそれがある。専門家の集団の長はそれをさし示した。それで乱をおこしたのはどうしてなのだろうか。

 乱をおこしたわけとしては、こうしたことがあるかもしれない。政権に助言を与える専門家の集団の長は、政権と同じことを言うことの危険性に気がついた。政権と足並みをそろえていることの危険性に勘づいた。危険性に気がついたために、政権とはちがうことを言っておいたほうがよいとなった。

 政権がおし進めていることによって失敗がおきたとしたらどうなるだろうか。もしも政権が失敗をおこしたとなれば、その責任を他になすりつけるのにちがいない。政権は自分たちで政治の責任を引き受けることをせずに他になすりつけることが多い。

 政治の責任はほんらいは政治家が引き受けなければならない。最終の政治の責任は政治家が引き受けなければならないが、日本の政治ではそれが行なわれることは少ない。政治の失敗の原因は政治家にあるとするのではなくて、他になすりつけることが行なわれる。

 どのような思わくを政権が持っているのかといえば、政治で失敗がおきたとしたら、その原因を他になすりつけてすます。だれが悪いのかとなったら、政権と意見を同じにしている専門家に責任をなすりつける。専門家がこう言っていたからだとして、専門家に政治の責任がなすりつけられることになるだろう。

 もしもものごとがうまくいったら、たとえ自分たちの力ではなかったとしても強引に自分たちの手がらにしてしまう。よいことは自分たちがなしたのだと強引にもって行くのが政権のやり方だ。他の人がなした手がらを強引に政権と結びつけて関係づける。うまく行かないことがおきたら、たとえ政権がそれをしでかしたのだとしても他に責任をなすりつける。しらばっくれる。

 いざとなったさいに政治の責任をなすりつけるための要員がいる。政治の責任をなすりつけるための都合のよい要員として、政権にたいしてはい(yes)とは言うがいいえ(no)とは言わない専門家がいる。専門家の集団の長はそのことにふと気がついたか、もしくは以前から気がついていたかもしれない。

 政権にとっての都合のよい要員として専門家がいるのだとすれば、いざとなったら専門家は政権から冷たく切り捨てられることになる。非情なしうちを政権から受けることになる。それではかなわないから、専門家にとっては政権を見切ることがいり、ことわざでいわれる見切り千両となった。

 科学の学問をいとなんでいる専門家は純粋な人が少なくないのかもしれない。政治の世界の汚れにまみれた汚いあり方には慣れていない。政権はかなり汚い手を使って権力を保っているので、汚れがかなりたまっていて、自浄の作用を持っていない。無責任の体制となっているのが日本の政治だから、政治家が政治の責任を引き受けることはまずのぞみづらい。

 いっけんすると政権にさからわないで従っていれば心強いようではあるが、じっさいには政権は冷たいしうちをする。温かいようでいて非情である。政権が権力を保ちつづけるために他のだれかがそのいけにえ(scapegoat)になって排除される。ほかのだれかが悪玉化される。だれがそれに当たるのかといえば、ぜい弱性や可傷性(vulnerability)をもつ者だ。

 政権と同じことを言っている専門家は、いざとなったら政治の責任をなすりつけられることになるから、見かたによってはぜい弱性や可傷性があると言えそうだ。政権と同じことを言っていると安全なようでいてかえって危険性があるのである。政権とはちがうことを言っていれば、政権にとっては使いものにはならないから、政権に都合よく使われていざとなったら冷たく切り捨てられることはないだろう。事前にそれが見こせるので、事前に政権のことを見切っておくことが大切だ。

 参照文献 『見切る! 強いリーダーの決断力』福田秀人 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『ええ、政治ですが、それが何か? 自分のアタマで考える政治学入門』岡田憲治(けんじ) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)