報道の自律性(autonomy)を問う:万博への批判についての論争

 テレビ番組で出演者が万博を批判することを言う。

 番組の中における万博への批判をどのようにとらえられるだろうか。

 批判を言った出演者は、万博への出入りを禁じる。万博から排除する。万博の関係者の政治家はそう言った。

 二〇二五年に関西で行なわれるのが日本国際博覧会だ。

 なんでテレビ番組や新聞では万博への批判があまりなされないのかといえば、報道の媒体は、国の思想の傾向(ideology)の装置だからだ。

 二〇二一年に開かれた東京五輪でも、それを良しとする報道が多かった。五輪を批判する報道はあまりなされなかったのである。五輪に協調してしまう。報道の媒体が、国の思想の傾向の装置であることから来ている。

 国(や地域)のもよおしに協調するのがよいとはかぎらない。悪いもよおしであることも少なくないから、協調してしまうとかえってまずい。非協調のほうがかえって良いことがある。いっけんすると非協調なのはよくないようだけど、そのほうがかえって良いことがあるのである。良くないことに協調したってしかたがない。

 人々をもよおしへと動員(mobilization)して行く。政治ではそれがなされる。動員されることによって、良くないもよおしに協調してしまう。そのばあいは動員されるのにあらがって非協調なほうがよい。動員されて協調してしまうとよくないことが中にはある。

 万博をよしとするのが、万博の関係者だ。万博の関係者は、思想の傾向をもつ。中立なのではなくてかたよっているのである。万博を批判するテレビ番組の出演者もまた思想の傾向をもっているのはたしかだ。

 中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義(liberalism)だ。万博の関係者の言いぶんだけによるのだと、一つの立ち場だけによっているからかたよっている。反対の立ち場の視点をくみ入れないとならない。いろいろなちがう立ち場がよしとされることがいる。色々な立ち場があってよい。視点を多様化して行く。

 中立なのではなくてかたよっているのが万博をよしとする関係者である。関係者がもつ思想の傾向へ、批判を行なう。テレビ番組において出演者が万博を批判するのは、思想の傾向への批判だ。思想の傾向への批判は、排除されてしまう。包摂されづらい。ぜい弱性(vulnerability)をもつ。

 現実とはずれてしまっているのが、万博をよしとする思想の傾向だ。現実とはずれてしまっているから、批判を行なうことがいるけど、その批判は排除されやすい。テレビ番組や新聞なんかで万博への批判の報道はあまりなされない。

 何がまずいのかといえば、他律性(heteronomy)による報道だ。何らかの強制にしたがって行動するのが他律性である。万博の報道は他律性になってしまっている。万博をよしとすることを強制させられている。そこにまずさがある。

 自律性(autonomy)による報道が理想である。自分の意思によってのぞましい行動をなすのが自律性である。万博を批判したいのであれば、自由に批判の報道を行なう。万博をよしとするのにせよ、批判をするのにせよ、いずれにしても思想の傾向によっているのはまぬがれないけど、そのうえで、自律性によって報じるのがのぞましい。

 五輪でもそうだったけど、万博においても、日本の報道は他律性によりすぎだ。五輪や万博をよしとする報道が多いのである。報道がもっと自律性によれるようにして行くことがいる。そうでないと、万博においては、それがもつ思想の傾向を批判することができづらい。現実と大きくずれた思想の傾向がまかり通ってしまう。

 なにが大事なのかといえば、万博を開くことであるよりも、憲法を重んじることだ。いまの日本の国の憲法では自律性がよしとされているのである。万博のことはさしあたって置いておくとして、憲法を重んじるようにすれば、万博を批判する報道をしやすい。自律性による報道ができるようになる。

 日本の報道のあり方は他律性によりすぎていて自律性がとぼしいのがあり、そこを批判することがなりたつ。国の思想の傾向の装置なのが報道だから、他律性によってしまうのはあるけど、その中で自律性をできるだけ持つようにして行く。

 万博のことはとりあえず置いておくとすると、憲法をしっかりと重んじるようにしていって、それをないがしろにしないようにすることがいる。かんじんなのは万博よりも憲法だと言えるだろう。憲法をまず重んじるようにすることがいり、それがあってそののちに来るのが万博だ。万博を優先させてしまうのはまずい。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『政治家を疑え』高瀬淳一 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『情報操作のトリック その歴史と方法』川上和久