危機への対応と逃避:政党と会社でいること

 政治の政党と、民間の会社を比べてみる。

 政党では、うら金を作っていたのが与党である自由民主党だ。

 悪い行ないをした政党と、悪い行ないをした会社で、共にいることはいったいどういったことなのだろうか。

 周辺と核心にふ分けしてみる。核心に当たることとして何がいるのかといえば、社会の関係(public relations)や説明の責任(accountability)をなすことだ。悪い行ないをした政党や会社は、それらをなすことが核心としている。

 もしも会社が悪い行ないをしたとすれば、その会社は社会の関係や説明の責任をはたさないとならない。それらをはたさないでよいほど、甘くはない。

 会社と同じことが当てはまるのが政党だろう。それなのにもかかわらず、政党においてはやらなくてもよいとされてしまっているところがあるのが、社会の関係や説明の責任をなすことだ。あたかもそれらをやらないですむかのようにされてしまっている。

 そんなにやらないでもよいかのような周辺のこととされてしまっているところがあるのが、政党における社会の関係や説明の責任である。核心のことには当たらないかのようにされているけど、そうではなくて、それらをやることは核心に当たることなのだと見なしたい。

 日本の芸能の会社では、かつての会社の長が悪いことをやっていたうたがいがあり、それがとり沙汰された。そのさいに、会社は社会の関係や説明の責任をそこまでしっかりとはたしていない。

 会社の中でも大手になると、政治との関わりなんかを持っていることがあり、複合体のようになっている。芸能と政治のゆ着である。報道とのゆ着もまたある。ほかの分野とのゆ着があることによって、社会の関係や説明の責任がはたされなくなる。

 力をもった政党だと、ほかの分野との複合体をなしている。政と報(報道)とのゆ着だ。ほかのものとのゆ着があるから、政党が悪い行ないをしたさいに、社会の関係や説明の責任がはたされなくなってしまう。政党へのきびしい追及が行なわれづらい。

 倫理観と双方向性と自己の修正の三つがいるのが、社会の関係や説明の責任だ。それらの三つによることがいるのがあるけど、日本の政党や会社が悪い行ないをしたさいに、それらの三つが抜きになることが少なくないものだろう。とりわけ力をもった政党だとそうなりやすい。

 どこかの会社がもしも悪い行ないをしたさいに、その会社がどういう倫理観を持っているのかを示す。いっぱんの人たちや報道などと、双方向性のやり取りをなす。会社のあり方がおかしいのであれば、自己の修正をして行く。

 一部の大手の会社だと、たとえ悪い行ないが明らかになっても、社の倫理観を示さなかったり、双方向性のやり取りをしなかったり、自己の修正をしなかったりすることがある。力をもった政党もまた一部の大手の会社と同じようになってしまいがちだ。

 会社においては核心に当たるけど、政党だったらそうではなくて周辺のことにすぎない。そこまでやることがいるものではない。会社と政党とでは差異性があることになるけど、そうではなくて類似性があるものとしてみたい。

 政党であれば社会の関係や説明の責任を必ずしもなさなくてもよいのかといえば、そうとはできそうにない。会社のばあいと同じように政党でもまた核心に当たることなのが社会の関係や説明の責任をなすことだ。

 周辺と核心をふ分けしてみたさいに、周辺にあたることだったら必ずしもやらなくてもよいかもしれないけど、核心に当たることは避けては通りづらい。抜きにすることができないものなのであれば、それをしっかりと労力をかけてやってしまったほうが合理性が高い。どこまでもついて回ることになるのが、核心に当たるものだろう。

 核心に当たることをやらないままだと、政党であっても会社であっても、(政党や社が)悪い行ないをしたことについて、それを片づけたことにならない。核心を押さえるようにすることがきもだから、それを押さえるのでないと、うまく逃げ切ったようであったとしても、逃げ切れない。

 かんじんな時に、やるべきことをやっておくのでないと、その政党や会社は、呪われた部分をいつまでも抱えこみつづけることになる。呪われた部分を内に抱えこみつづけているようだと、その政党や会社はこれから先にそう長くは持たないかもしれない。

 これから先において長く生き残りつづけたいのであれば、呪われた部分を片づけるようにして行く。核心に当たることである社会の関係や説明の責任をきちんとなすことがいる。

 正と負の二つがあるなかで、負に当たるものである呪われた部分ときちんと向き合うことが避けられない。人は過剰性をもつから、力を持つ個人や集団は、しだいに負の呪われた部分がたまっていってしまう。乱ざつさ(entropy)だ。何らかの形でとちゅうでそれをきちんと片づけることがいることになる。

 参照文献 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『共謀者たち 政治家と新聞記者を繋(つな)ぐ暗黒回廊(かいろう)』河野太郎 牧野洋(よう) 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『失敗の研究 巨大組織が崩れるとき』金田信一郎 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安、大貫功雄(おおぬきいさお)訳 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信 『変われない組織は亡(ほろ)びる』二宮清純(にのみやせいじゅん) 河野太郎 『「責任」はだれにあるのか』小浜逸郎(こはまいつお) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信