日本が、外国人を助けることの、義務―日本がやらないとならないことなのか

 困っている外国人を、日本の国は救うべきなのだろうか。助けるべきなのだろうか。

 義務と権利の点から、外国人を日本が助けるべきかどうかを見てみたい。

 外国人のことはさしあたって置いておけるとして、困っている日本人を、日本は救うべきなのかといえば、そうであると見なせる。義務として、日本は、困っている日本人を救うことがいる。これは、おおかたの日本人に受け入れてもらえるものだろう。

 新自由主義(neoliberalism)だと、自己責任論が言われることになってしまう。個人の責任にされてしまうけど、日本人は日本の国に帰属しているのがあるから、困っている日本人を国が放っておいてよいのだとは言い切れそうにない。できれば国が手をさしのべてめんどうを見るべきではある。

 大かたの日本人に受け入れてもらえるかどうかが定かとは言えそうにないのが、日本が、外国人を救うべきかどうかだ。自明性があるとは言い切れそうにない。

 困っていて、それで日本にやって来た外国人がいる。危ないことから逃げて、日本にやって来た外国人がいる。そうした外国人を、日本が救わない。救わないのだと、日本が、完全義務をはたさないことになりかねない。

 完全義務をはたさないと、他者に危害が加わる。他者に危害を加えてはいけないのがあり、その原則を守るのは、完全義務をはたすことだ。

 不完全義務だったら、あくまでも努力の目標だから、それをやらなかったとしても、必ずしも悪くはないことがある。たんなる愚行または怠慢にとどまることがある。努力ができなかったとしても、しかたがないことがある。

 あらゆる外国人を救うべきだとはいえないだろうけど(それは日本の手にあまるかもしれないが)、日本に助けを求めてやって来た外国人を日本が救わないのだと、義務に反してしまう。日本がはたすべき義務に反してしまうことになりかねない。

 すごい消極なのが日本だ。日本にやって来た外国人を、積極に助けようとしていない。それを改めるようにして、積極に外国人を助けるようにすれば、日本は努力をしていることになる。義務を果たすことになる。

 かならずしも日本が絶対にやらなければならないとはいえないことであったとしても、それをやったほうが、日本が努力していることを示せる。外国人を助けることは、日本が絶対にやらないとならないこととは言い切れないかもしれないが、それをやったほうが、不完全義務を日本がはたすことにつながるから、努力しているさまをしめすことがなりたつ。日本が努力しているさまを見てもらえる。

 すごくきびしく見れば、日本にやって来た外国人を、日本が助けない権利はない。外国人を助けない権利が、日本にはない。そう見なすことができなくはない。外国人を助けない権利は、日本が加害をする権利になってしまうのがあり、外国人にたいして加害をする権利を日本は持っているのではないのがある。

 義務には、完全(消極)と不完全(積極)のものがあるが、その二つのどちらも、日本はやるようにしたい。これだけはせめてはたすべきだといった完全な義務を日本ははたすべきだし、それに加えて、やることがのぞまれるものである不完全な義務をはたすべきだ。外国人を助けることに努力する積極性を日本はもつようにしたい。

 ばあいによっては、たとえ不完全なもの(不完全な義務)であっても、それがすごい大きな重い意味あいを持つことがあり、それをやらなくてよいことにはならない。努力しなくてよいことにはならない。日本にやって来た外国人を助けることにおいては、それが不完全な義務に当たるのだとしても、すごい大きな重い意味あいをもつことがあり、日本がぜひともやらなければならないことに当たることがある。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『現代倫理学入門』加藤尚武(ひさたけ) 『貧困の倫理学馬渕浩二構築主義とは何か』上野千鶴子編 『難民 exile 思考のフロンティア』市野川容孝(いちのかわやすたか) 小森陽一 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし)