テレビ番組の適正性:政治家への番組の出演の依頼をめぐる議論

 左派の政党の政治家が、テレビ番組に出ることをこばむ。番組に出てほしいと言われたのをこばんだことへ、批判が投げかけられている。

 たとえどのような番組であったとしても、出てほしいと言われたら、政治家は必ずその番組に出なければならないのだろうか。何が何でも番組への出演の依頼を引き受けなければならないのだろうか。

 たとえ番組に出てほしいとたのまれたのだとしても、それを引き受けるか引き受けないかは、政治家の自己決定にまかされることだろう。番組に出たほうが良いとはかぎらないし、出ないのが悪いともかぎらない。

 テレビ番組に出るかそれとも出ないかは、何々であるの事実(is)だ。何々であるの事実をもってして、何々であるべきの価値(ought)を自動ではみちびけそうにない。自動でそれを導いてしまうと自然主義の誤びゅうにおちいってしまう。事実と価値の二つをふ分けすることがなりたつ。

 むりやりに番組に出させるのだと強制になってしまう。当事者である政治家が自分で番組に出るかそれとも出ないのかを決めるのでないと、外から強制することになり、自由ではなくなる。当事者の自己決定によるのでないと、父権主義(paternalism)のあり方になる。個人の自己決定をよしとしているのがいまの日本の憲法だ。

 中立のものなのがテレビ番組なのだとはいえそうにない。きほんとしてテレビ番組は国の思想の傾向(ideology)の装置だ。右にかたよった思想の傾向をもつテレビ番組が多い。日本の国をよしとしがちだ。国家主義(nationalism)である。左の思想の傾向のテレビ番組はちょっとしかない。

 どんどん右傾化が進んでいっているのが日本の国の政治だ。かつてよりも反自由の政治になっていっている。報道もまた右にかたよっていっている。報道が自由主義(liberalism)の公器ではなくなっているのである。

 テレビ番組に政治家が出るのは、自分のことを宣伝するためであることが少なくない。テレビ番組に政治家が出るのは、それそのものが自分を宣伝する効果をもつ。テレビ番組の画面に政治家が映ることによって、大きな宣伝の効果がおきるのである。

 損をするか得をするかでは、損をするようなテレビ番組への出かたを避ける。得をするようなテレビ番組への出かたをして行く。政治家はそうした行動をとることが多い。

 自分が損をしてまでも、テレビ番組に政治家が出ることはほとんどないことだろう。自分が損をするくらいだったら、テレビ番組に出ないほうがましだし、何かほかの得をえられる行動をしたほうが合理性が高い。

 そんなにきれいで純粋な動機づけ(motivation)で、政治家がテレビ番組に出るとは見なしづらい。多かれ少なかれ不純な(じゅんすいではない)動機づけによって政治家は動く。お金であったり票であったりのために動くのが政治家だ。

 日本のテレビ番組を批評してみると、きちんとした議論が行なわれることがほとんどない。きちんとした議論をするためには、議論の規則や倫理がなければならない。議論の規則や倫理が欠けていると、まともな議論にはならない。

 状況の点をくみ入れてみると、テレビ番組において、きちんとしたまともな議論ができることはほとんどのぞめない。議論の規則や倫理が欠けていることが多いから、テレビ番組に政治家が出ることがよくて、出ないのは悪いことだとはできそうにない。

 状況が悪いことが多いから、政治家がテレビ番組に出ることによい含意をこめることはできないし、逆にたとえ出ないからといって悪い含意をこめることもまた必ずしも成り立たないのがある。

 政治家の個人の要因であるよりも、それをとり巻く状況の要因をないがしろにできづらい。ひと口にテレビ番組といっても、それの範ちゅう(集合)と価値があるから、すべてがよい番組なのだとは言いがたいものである。悪い価値をもつ番組は少なくない。視聴率は高くても悪い価値をもつ番組はけっこう多いのがある。よい価値の番組は視聴率が低くなってしまう。

 政治家の価値の低さと、テレビ番組の価値の低さがあって、どちらも改善されるべきだ。よい価値をもつ政治家は少ないし(そう多くはない)、よい価値をもつテレビ番組もまた少ない。

 悪い価値をもつ政治家が、悪い価値をもつテレビ番組に出たってしかたがない。たんてきに言えば、(ナチス・ドイツアドルフ・ヒトラーのような)極右の政治家が右よりの番組に出たとしてそれにいったい何の意味があるだろうか。客観に益になるのであるよりも害になるところのほうが多そうだ。

 よし悪しを抜きにして、たんに政治家がテレビ番組に出ればよいものではない。政治家やテレビ番組のよし悪しをきちんとぎんみして行く。政治家にせよテレビ番組にせよ、悪貨が良貨を駆逐(くちく)してしまうのがあるから、悪いものが力をもちがちだ。

 とことんまでやることがいるのが政治だけど、テレビ番組ではそれをほとんどのぞめない。深くまでものごとを掘り下げるのに向いていないのがテレビ番組だ。時間の制約がかかる。費用や労力の制約もある。視聴率をできるだけかせがないとならないから、効率や速度が重んじられる。

 効率や速度が重んじられがちであり、適正さが欠けていることが多いのがテレビ番組だ。商売でやっているものだからそうなる。適正さが欠けていることが多いから、政治家がテレビ番組に出たからといって良いとはかぎらないし、出ないからといって悪いとも限らないのがある。

 適正にやろうとするとどうしても費用や労力が多くかかってしまうから、わりに合わなくなる。商売として損をしてしまう。手ぬきをするのでないともうからないのである。

 効率や速度を重んじすぎているテレビのあり方を批判することがなりたつ。たとえ政治家が出ているからといって、そこで政治がなされているとは限らないのがテレビ番組だ。とことんまでやるのでないと政治にはならないけど、テレビ番組はとことんまでものごとをやるのに向いていない。

 参照文献 『政治家を疑え』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『NHK 問題』武田徹 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『はじめての批評 勇気を出して主張するための文章術』川崎昌平(しょうへい) 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『議論のレッスン』福澤一吉(かずよし) 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『公共性 思考のフロンティア』齋藤純一 『右傾化する日本政治』中野晃一(こういち) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『本当にわかる論理学』三浦俊彦ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや)