万博の経済の効果と汚れの問題

 みんなにとって益になるものなのがもよおしの万博なのだろうか。

 費用はかかってしまう。税金はかかるものの、それを上回るほどの経済の効果を生む。そう言われているのが、二〇二五年に開かれる日本国際博覧会だ。関西で開かれることになっている。

 あたかもまんべんなくみんなに益になるかのように言われているのが万博だけど、そこでとり落とされてしまっているのが汚れの点だろう。きれいか汚いかの点である。それを組み入れて見てみたい。

 汚さの点を抜きにしてみると、負と正で、正のほうがうんと上回る。負である税金よりも、利益である正のほうがうんと生じるのだとされることになる。

 とり落とされてしまっている汚さの点をくみ入れてみると、どんどん汚れがたまっていってしまうのが、万博を開くことだ。なんで汚れがますますたまることになるのかといえば、日本の中心によってもよおされるものだからである。

 日本の中心にあるのが、与党である自由民主党や、第二自由民主党である日本維新の会だ。維新の会は自民党の補完の勢力である。中心を強めてしまうと、汚れがどんどんたまりつづけていってしまう。

 いま汚れに少し目が向けられているのがある。政治のうら金のことだ。うら金のことは汚れであり、それが表ざたになっているのである。うら金への批判がおきているのがあり、これは汚れをきれいにする働きだ。

 さすがに日本では、政治において汚れがたまりすぎている。これまでに中心にいるものによって汚れがそうとうにためられてきている。汚れがたまっている量がすごいことになっていて、隠し切れなくなっているのがあり、表に出てきているのがうら金のことだろう。

 みんなが良しとしているのではなくて、それなりの批判がおきているのが万博だ。万博への反対の声は小さくない。万博に反対するのや、万博を批判するのは、汚れをきれいにする働きだ。どちらかといえばそうだ。

 中心をますます強めることになるのが万博を開くことだ。第二自民党である維新の会を強めることになる(なってしまう)。それだと汚れをますますためていってしまう。

 費用対効果では、税金の費用がかかるのがあるけど、それだけではなくて、汚れがたまりつづけていってしまうのも見のがせない。汚れがきれいになるのではなくて、ますますたまっていってしまうのはかなりの費用だ。

 どれくらいの費用がかかって、どれくらいの利益があるのかの試算があるけど、その試算では、汚れの点がくみ入れられていないのである。汚れの点をくみ入れて試算してみると、すごい大きな費用がかかってしまう。効果はあんまりない。効果が少しあったとしても、それが殺されてしまう。

 もよおしをやるのは積極で、それをやらないようにするのは消極にひびく。積極のほうがよくて、消極は悪いかのような気がするけど、そうとはいえそうにない。消極のものがもつ積極性に目を向けてみたい。

 消極がもつ積極性としては、万博をやらないようにして中止したほうが、汚れをきれいにできる。汚れがたまりつづけていってしまうのを避けられる。中心を強めることで汚れがたまっていってしまうのを止めるようにしてみたい。

 汚れをきれいにする働きがあるのが、万博をやらないようにして中止することの良さだろう。万博はいわばにせのもよおしだけど、万博をやらないようにして中止することのほうがかえってもよおしの効果をもつ。非日常のものなのがお祭りなどのもよおしであり、日ごろにためられた汚れを少しでもきれいにできるのでないと意味がない。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹