政治家の語り(message)とうら金

 うら金についての、政治家の語りを見て行く。

 政治でうら金を作っていた当事者の政治家の語りを見て行く。語りを見て行くとどういったことが見えてくるだろうか。

 政治の二大の要素のうちの一つなのが語りだ。残りの一つはお金である。このお金は広い意味でのものであり、(じっさいのお金を含めた)価値をさす。

 ごう引なへりくつを言う。きべんを言っているのが、うら金を作っていた与党である自由民主党の政治家たちだ。きべんの語りを言っているのである。

 ほんとうは悪いことをしていなかったのにもかかわらず、あたかも悪いことをしたかのようにされているのが秘書や会計の責任者たちだ。政治家が悪いことをしたのにもかかわらず、その代わりに秘書や会計の責任者たちが罪を背おう。政治家のきべんがわざわいしている。

 どれくらい政治家のきべんが通じているのかといえば、その通用性は必ずしも高いとは言えそうにない。すなおな人であれば、政治家の語りをそのまま丸ごとうのみにしてしまう。

 政治家のきべんをそのまま丸ごとうのみにしている人もいることは確かだ。意図(intention)とはちがうことを言っているのが政治家だけど、その語り(message)をそのまま受けとる人も中にはいる。語りを信じることによる見解(view)だ。

 いまはお金のことで苦しんでいる国民は少なくない。日本の国の中で、税金の支払いなどのお金のことで苦労している人は少なくないから、政治家のお金のことへの見かたがきびしくなっている。

 通用性が必ずしも高くはないのが政治家のうら金についてのきべんだ。政治家の語り(M)を信じない。そのまま丸ごとうのみにしない。うたがう。語りとはずれた見解(V)を受け手が持つ。

 語り(M)とはちがう意図(I)を持っているのが政治家だ。そうしたことが多いから、政治家の語り(M)をずらす。合わせない。語り(M)とはちがう見解(V)を持つことがいる。語り(M)とは合わない見解(V)を持つようにして行く。

 こんかいの自民党のうら金のことでは、政治家の語りとは合わないで、語りとずれた見解をもつ人が少なからずおきている。うら金のことでは、自民党の政治家が言っている語りと合った見解を受け手が持ってしまうとよくない。政治家の語りと受け手の見解が合ってしまい、ずれていないのはのぞましくない。

 できるだけ政治家の語りとは合わない見解をもつようにして行く。そうすることができれば、政治家をうたがうことが成り立つ。与党である自民党の政治家なんかはとりわけ語りにおいてうそをつくことが少なくないから、政治家の語りとは合わないでずれた見解を受け手が持つことがのぞましい。

 政治家のもっている意図と語りとがちがっている。語っていることと、うらに隠し持っている意図とが合っていない。意図と語りとのずれがろこつなのが、うら金のことだ。明らさまに意図と語りがずれているのがあり、そのずれがわりと見えやすいのがあるから、語りと見解をずらしやすい。送り手(政治家)の語りとはずれた見解を受け手が持ちやすいのが、うら金のことだ。

 うら金のことにかぎらずその他のことにおいても、政治家の語りと合わないずれた見解をもつようにして行く。政治家をうたがって行く。表象(representation)なのが政治家であり、国民そのもの(presentation)なのではない。

 心の中の像(image)を外に表現したものなのが表象である。国民そのものではなくてその代わりに当たり、国民とはずれたところが多かれ少なかれあるのが政治家だから、できるだけうたがっていったほうがよい。内にもつ意図とはちがう語りを言うことが多いのが政治家であり、語りにはできるかぎり気をつけて行きたい。

 参照文献 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『ホモ・メンティエンス(虚言人)』外山滋比古(とやましげひこ) 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『うたがいの神様』千原ジュニア 『考える技術』大前研一 『なぜ「話」は通じないのか コミュニケーションの不自由論』仲正昌樹(なかまさまさき)