政治の思想の傾向(ideology)とうら金の関係性を探る

 思想の傾向の点から、うら金を見てみる。そうするとどういったことが見えてくるだろうか。

 政治のうら金がある。政治のお金について批判をしていたのが、野党だったさいの自由民主党だ。

 与党の政治家のお金のぎわくを批判していたのが、野党だったときの自民党である。

 政治で、うら金をためこむ。それをかくす。かくれてそれをやっていて、まだばれていない。見つかっていなければ、思想の傾向(ideology)だ。政治の不正なお金があって、それをごまかせていれば、思想の傾向が保たれている。

 思想の傾向へ、批判を行なう。野党だったさいの自民党はそれをやっていた。

 うら金は思想の傾向であり、おおい(cover)がかぶされている。おおいがかぶされているのを取り去る。それが、思想の傾向にたいして批判をすることである。

 自民党が野党だったさいの与党は、いまはなき民主党だ。与党である民主党の政治家が思想の傾向をもっているのだとしたら、野党の自民党がそれを批判して行く。

 反対の勢力(opposition)なのが野党だ。内閣を支持しない。内閣を批判して行く。野党はそのあり方をとることになる。民主党の内閣を支持せずに批判していたのが、野党の自民党である。

 かつてとはちがって、いまは自民党は与党である。その自民党が、うら金をためこむ。自民党の派閥(はばつ)でうら金をためこむことがなされていた。おおいがかぶされていたのが、とり去られた。検察が自民党を捜査したことによる。それいぜんに、報道で、左派の報道の機関(新聞のあかはたなど)がうら金のことを報じていた。

 うら金のことで、それにかけられていたおおいがとり去られた。とり去られはしても、まだしつようにおおいがかぶされつづけているのである。完全におおいがとり去られれば、うら金のことが現実と合い、思想の傾向にはならない。

 現実とは合わず、ずれてしまっていて、思想の傾向におちいっているのがうら金のことだ。思想の傾向におちいっていて、いまだにおおいがかぶされつづけている。現実とのずれが大きい。思想の傾向にたいして批判をすることがいる。

 野党だったときの自民党は、思想の傾向に批判をしていた。いまは自民党は与党だけど、いまの野党がだいじだ。いまの反対の勢力が、いかに思想の傾向にたいして批判ができるのかがかんじんである。ちょうど野党だったときの自民党が思想の傾向にたいして批判をしていたのと同じかそれより以上に批判をして行く。それがいる。

 そうとうに現実とずれてしまっている。ずれが小さければまだよいが、そうとう現実とずれてしまっていて、現実と合わなすぎている。そういう思想の傾向になってしまっているのが、自民党のうら金のことだ。

 いまの与党の自民党は、思想の傾向がとても強い。うんとそれが強いのがあって、そのぶんだけかなりの批判がないとならない。反対の勢力がかなりの批判をしないとならないけど、思想の傾向にたいしての批判が弱い。批判が、排除されてしまう。

 批判が排除されてしまうから、自民党の思想の傾向が強まってしまう。そこにまずさがある。批判が弱いのがわざわいしていて、うら金のことがいまだに思想の傾向におちいりつづけている。その中で、批判を排除せずに包摂(ほうせつ)することがいる。

 批判を包摂するようにしないと、自民党がもつ思想の傾向が強いままになり、現実とのみぞが縮まらない。現実とずれつづけることになり、現実と合わないままになってしまう。

 どんどん思想の傾向へ批判をして行くようにして、おおいをとり去って行く。おおいの下に隠されているいくつもの穴をさし示して行く。反対の勢力は、どれだけ批判をして行けるのかがかんじんである。批判が排除されてしまうからなかなかきびしさがある。自民党がもつ思想の傾向は強いのがあるから手ごわくてやっかいだ。

 うら金を、なかなか批判し切れない。捜査し切れない。とことんまでやり切れない。なぜそうなってしまうのかといえば、自民党がもつ思想の傾向が強いからだろう。批判が弱い。批判がぜい弱性(vulnerability)をもつ。悪玉化(scapegoat)されてしまう。

 とことん捜査して行く。検察がそうできればよかった。とことんまでうら金を捜査できなかったのが現実だ。とことんまでやることが政治ではだいじだ。何ごともである。理想論としてはである。

 日本ではとことんまで何かをやり抜くことが少なく、政治がなされづらい。いさぎよくすぐにあきらめてしまう。そうしがちだ。政治をなす意思がない。検察は意思を十分に持っていなかった。とことんまでやり抜く意思を持っていない。何でもかんでもとことんまでやり抜くことはむずかしいから、現実論としてはしかたがないのはあるかもしれないが、ざんねんである。

 批判を悪玉化せずに、包摂して行く。そうしないと、うら金についてのごまかしがまかり通ってしまう。本質をぎんみすることなのが批判であり、それが排除されるのだと、うら金のことについて本質をぎんみすることができづらい。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『十八歳からの民主主義』岩波新書編集部編 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『対の思想』駒田信二(しんじ) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)