ねずみたちの矛盾 ―検察の失敗―

 政治家を、検察が捜査する。

 捜査を行なう主体は検察だ。行動者なのが主体である。

 政治家は客体だ。相手なのが客体である。

 主体と客体を、動物になぞらえてみると、どういったとらえ方ができるだろうか。

 検察はねずみである。政治家はねこだ。

 自由民主党の権力をもった政治家は猫である。その猫の首に、ねずみたちが鈴をかける。

 猫の首に鈴をかけることができたのかどうかがある。ねずみたちはそれをすることができたのかといえば、できなかった。猫の首に鈴をかけることができずに終わったのである。

 もしも猫の首に鈴をかけることができれば、矛盾が片づく。矛盾が解決する。

 猫の首に鈴をかけることに失敗すると、矛盾が片づかない。矛盾が解決せずに、引きつづいてしまう。

 政治のうら金のことでは、引きつづき矛盾がおきつづけている。社会の矛盾(dilemma)がおきつづけているのが、日本のいまのありようだろう。

 検察はねずみだけど、それ以外にもねずみはいる。報道の機関がある。記者がいる。いっぱんの有権者や国民がいる。(大きな)力を持たない人たちである。

 検察は力がおよばずに失敗したところがあるけど、それ以外にもいっぱいねずみたちがいるから、そのねずみたちがどうなのかがある。

 どういう動機づけ(motivation)をねずみたちが持っているのかがある。猫の首に鈴をかけに行く動機づけを持っているかどうかだ。

 うら金のことがいまとり沙汰されているけど、そのことを抜きにして、もともと日本ではねずみたちが猫の首に鈴をかけに行く動機づけが弱い。動機づけが弱いことが、検察のふるまいに見てとれる。おくびょうであり勇気がないのが検察のふるまいに見てとれるのである。あんまり動機づけが高くない。

 もとから日本ではねずみたちの動機づけが高くないのがあって、非協調なのがある。協調が弱いのである。ねずみたちがみんなで協調して、猫の首に鈴をかけに行くことがなされづらい。非協調なねずみたちがけっこういっぱいいて、力を持つ。権力のどれいのねずみたちだ。たいこ持ちである。

 矛盾が放ったらかしにされつづけてしまう。社会の中に、色々な矛盾があって、放ったらかしになりつづける。もともと社会は完全に矛盾がないありようにはできづらいのはたしかだ。あるていど矛盾があるのはやむをえないが、できるだけねずみたちが矛盾を片づけて行くようにする。その動機づけを持つことがいるけど、日本はそこが弱い。日本についてをきびしく見てみればそう見なすことがなりたつ。

 猫の首に鈴をかけるのを検察にのぞむのは、のぞみすぎだったのがあるかもしれない。高いのぞみをもってしまった。検察には税金が払われているから、できれば猫の首に鈴をかけて、矛盾を片づける仕事をしてほしかったのはある。

 矛盾を片づけるには、ねずみたちが利己ではないことがいる。検察は利己になったために、猫の首に鈴をかけることができなかった。それに失敗した。検察についてをきびしく見てみるとそう見られるのがあるかもしれない。きびしく見てみれば、(利他ではなくて)利己のねずみなのが検察だろう。甘く見れば、利他のところもあり、政治の不透明なお金の不正を人々にひろく知らしめたのはある。

 参照文献 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『構築主義とは何か』上野千鶴子