芸能界の性の加害と、報道の良くなさ―どういった反省を、日本の報道はするべきか

 芸能界の、性の加害に、甘かった。それをきちんと報じることができていなかった。日本の報道では、そうしたふり返り方がされている。

 テレビ局などが、自分たちの報じ方をふり返るさいに、どういったふり返り方がいるのだろうか。芸能界の性の加害の報じ方で、どういった反省がいるのだろうか。

 だれだれが、こう言った。だれだれが、ああ言った。日本の報道は、そうした報じ方が主だ。テレビ局であれば、われわれの局は、これについてこう考えるといった報じ方をしない。社の考えを表さない。

 どういうところを反省するべきなのかといえば、報道で、自分たちの考えを表さない点だろう。誰かがこう言ったとか、この人はこう言っているといった報じ方になっているのを、改めて行く。そこを改めることがいる。

 国の外で、批判がおきた。日本の芸能界の性の加害が、国の外でも批判されたのがある。日本の報道は、国の外の誰々がこう言っている、といったことで、間接のかたちで日本の芸能界の批判をやっている。国の外のこういった集団がこう言っているとの報じ方によって、日本の芸能界を批判する形である。

 間接にではなくて、報道が、じかに日本の芸能界を批判して行くことができているとはいえそうにない。報道の中でじかに日本の芸能界の性の加害をとり上げて、それを批判することが行なわれなかったのである。それがほとんどなされなかったのがあるから、反省してふり返るさいには、そこをとり落とさないようにしたい。

 すごく情けなくなってしまうのが、間接の形での報じ方だ。日本の報道は情けないのがあって、日本の芸能界を批判するのにしても、国の外の人または集団がこう言っているといったことをもってして、それによって日本の芸能界を批判する。そうしたあり方に情けなさがある。自分たちで、自分たちの国の芸能界を、批判できていないのである。

 報道が、これまでをふり返って、自分たちのあり方を反省するのはよいことだ。自分たちの内部を調査して、その結果を外にあらわすのは良いことだけど、そのさいに、ほかの人または集団がどう言ったといった報じ方になっているのを問題化するようにしたい。報道が、自分たちで考えて、それで記事を作るようにしなければ、よい報道はできづらい。これからの報道は、そうであることがいる。

 日本の芸能界は、性の加害をなしたのがあり、悪さがある。国の外からも批判を受けている。それだけではなくて、それと共に、日本の報道のあり方が批判されることがいりそうだ。報道では、そのことへの自覚があるようであり、自分たちのこれまでのあり方を反省することがなされた。

 しっかりとした反省ができているのかといえば、そうとは言い切れそうにない。しっかりとした反省を報道がやらなければ、信頼が回復しづらい。再発を防止して行く。再び悪い報道がなされないようにして行く。これから先に悪い報道がなされるのを防ぐためには、報道が自分たちで考えて記事を作れていないことを問題化するべきだ。ほかの人や集団の言うことに依存する報じ方を改めないとならない。依存の体質を改めて行くことがいる。

 参照文献 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『共謀者たち 政治家と新聞記者を繋(つな)ぐ暗黒回廊(かいろう)』河野太郎 牧野洋(よう)