男性のアイドルの性の被害と、その報道―報道でのとり上げが、十分とは言えない

 アイドルの事務所で、性の加害が行なわれる。事務所の代表が、そこに属している男性のアイドルにたいして、性の加害をなしたとされる。

 性の被害のうったえが、いく人ものアイドルから言われている。事務所の代表が亡くなったことで、それが言いやすくなったためなのがある。

 アイドルへの性の加害の、報道でのとり上げが十分ではない。報道が、これまでに被害を黙殺してきたのがあり、またいまでもそこまで十分にとり上げられていない。そのことについてを、どのように見なせるだろうか。

 たった一つだけではなくて、いくつもの正義がある。一つだけではなくて、いくつもの正義があるのが関わるのが、性の被害だろう。

 性の被害では、加害者の正義と、被害者の正義がある。その二つの正義がある。

 加害者の正義とするのは語へいがあるかもしれないが、加害者とされていても、じっさいには罪をおかしていないおそれがあるからだ。えん罪のおそれがなくはない。

 性の被害についてを報道でとり上げづらいところがあるのは、正義が一つだけではなくていくつもあることが関わっているかもしれない。

 西洋の哲学の弁証法(dialectic)で見てみると、アイドルの事務所は正だ。事務所のそのままのありようだ。それにたいして、(事務所の代表からの)性の被害がアイドルによって言われるのは、反だ。事務所に対抗するものなのが、被害をうったえているアイドルたちだ。

 性の加害をしたとされる事務所の代表を、同情するようなことが日本の芸能界では言われている。これは、加害者の正義によるものであり、その正義の立ち場によるものだ。

 すでに亡くなっているのがアイドルの事務所の代表であり、そうした人のことを悪く言うのはよいことではない。日本の芸能界ではそういうことが言われているのがあるけど、それは加害者の正義に当たる。その立ち場に立つことはできるけど、それだと、被害者の正義がとり落とされてしまう。正義がいくつもあることが見落とされてしまう。

 加害者の正義によるだけだと、正と反があるうちで、正つまり合としてしまう。アイドルの事務所のそのままのありようをもってして、よしとしてしまう。事務所に対抗することが、被害者のアイドルたちから言われているけど、それを切り捨ててしまうとよくない。

 正と反があり、いくつもの正義がある中で、それらを合の止揚(aufheben)にもって行く。合の止揚(しよう)にもって行くことができれば、問題を克服することができたことになる。

 かんじんなことは、正だけでもなく、反だけでもなく、その二つを共にくみ入れた上で、合の止揚にもって行き、問題を克服することだろう。これは必ずしもかんたんなことではない。

 まだ問題の克服にはほど遠いのがあり、いくつもの正義がある中で、もっと被害者の声が聞き入れられないとならない。もっと被害者の声を受けとめることがいる。そうしないと、合の止揚にもって行けず、問題の克服ができない。

 被害者が排除されてしまうと、アイドルの事務所のもつ思想の傾向(ideology)が引きつづく。その思想の傾向を批判するものなのが、被害者であるアイドルたちのうったえだから、そのうったえを十分に受けとめることがいる。

 事務所だけにとどまらず、日本の芸能界の全体が、思想の傾向によっている。報道もそこに含まれるのがあるから、報道のあり方を批判することもいる。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『裁判官の人情お言葉集』長嶺超輝(ながみねまさき)