中国のウイグルのことと、日米豪印の首脳が互いに共同して声をあげること―中国は悪で、日米豪印は善なのか

 中国のウイグルでは人権の侵害が行なわれているという。そのことについてが、アメリカと日本とオーストラリアとインドの国の首脳どうしが会談した中でとり上げられていた。

 日米豪印の首脳どうしが会談した中で、中国のウイグルの人権の侵害がとり上げられることは、よいことに当たることだろう。文化の力(soft power)によって中国の国がやっている悪いことを批判して行く。批判することはよいことに当たるのはあるものの、声をあげている日米豪印は完ぺきな善であり、声をあげられている中国は完ぺきな悪だといったことになるのだろうか。完ぺきな善と完ぺきな悪といった二分法によって見ることができるのだろうか。

 人権の侵害の加害者に当たるのが中国で、その被害者に当たるのが中国のウイグルの人たちだろう。中国のウイグルのことにかぎって見てみればそう見なすことがなりたつ。

 ほかのいろいろなことに目を向けて見てみられるとすると、人権の侵害において、日米豪印がこれまでに加害者になったり、いまの時点で加害者になったりしていることは少なくはない。どのようなものが人権の侵害の加害者に当たるのかといえば、それを一般化して見てみられるとすると、国がその当事者に当たることは多い。国はその地域の暴力を独占しているのがあるからだ。国家主義(nationalism)によって国家の公が肥大化することで個人の私を押しつぶしてしまいやすい。

 一般論でいって国は人権の侵害の加害者になることが多いから、それからすると、中国だけではなくて、日米豪印のそれぞれの国もまたいろいろに悪いところがあることはいなめない。そのことをくみ入れられるとすると、声をあげている日米豪印は完ぺきな善であるとは言えそうにない。日米豪印のそれぞれの国にもまたいろいろに悪いところがあるのだから、それらのいろいろな悪いところを隠ぺいするべきではない。

 人権の侵害が行なわれているのは、なにも中国のウイグルにかぎったことではない。そこだけにかぎったことではないから、中国が国としてただ一つだけ完ぺきに悪なのではないだろう。中国だけではなくて日米豪印にも国として悪いところがいろいろにあり、これまでに国がなしてきた悪いことの負のこん跡がいろいろに残されている。それらの負のこん跡が十分にすくい上げられているとは言えそうにない。国がそのこん跡を消そうとしている動きさえある。国に都合がよいように歴史を修正することがおきている。

 日米豪印の首脳どうしが声をあげることはよいことではあるにしても、ただすなおによいことだと手ばなしで言うのはややはばかられる。そこには政治性や作為性や意図性があることがうかがえる。白か黒かといった対照性があるのだと言えるほどには、日米豪印と中国とのあいだにははっきりとしたちがいはないのではないだろうか。

 日米豪印のことを雑にいっしょくたにしてしまってはいけないのはあるだろう。そのうちでたとえば日本やアメリカの国をとり上げて見てみると、これまでに日本やアメリカは国としてさまざまな人権の侵害をなしてきている。いまでもさまざまな人権の侵害が国によって引きおこされている。中国だけが悪いのだとは言い切れないところがあるのは否定できず、たがいに似たところがあるのだと言える。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『情報政治学講義』高瀬淳一 『公私 一語の辞典』溝口雄三憲法という希望』木村草太(そうた)