日本の国の政治に見られる互酬(ごしゅう)性と、それによって引きおこされる政治の不祥事

 国の政治家や役人が、関わりのある会社から接待を受けていた。それによって行政がゆがめられた。役所である総務省と放送をになう会社とのあいだでそうしたことが行なわれていたことがわかった。

 国の政治家と総務省の役人による不祥事が意味することとはいったい何だろうか。人それぞれによっていろいろにとらえられるものであるのにちがいない。その中でこの不祥事に見てとれるのは日本の社会にある互酬性(reciprocity)のあり方だろう。

 交通でいうと互酬性は双方向性による双交通に当たる。つり合いが取れた双交通になるような互いの利益のやり取りが行なわれる。時間差がおきるのがあり、まずはどちらかの一方が一方向の単交通でもう一方に利益を与える。利益を与える人は能動だ。利益を与えられた人は受動である逆方向の単交通だ。立ち場を変えてそれが行なわれることになり、たがいにつり合った双交通になろうとする。

 日本の社会のあり方として互酬性があり、これが政治で行なわれることがある。地元の有権者が、地元から出た政治家にたかる。政治家は自分を押してくれた地元の有権者のたかりの求めに応じる。それがかいま見られたのが、自由民主党安倍晋三前首相による桜を見る会のことだろう。この会のことは、必ずしも安倍前首相だけが悪いのだとは言い切れないところもある。日本の政治がかかえる構造の問題である見こみがある。

 日本の国の政治の水準は低い。きびしく見てみられるとするとそう言えるのがあるとして、そのことのもとのひとつには互酬性があげられる。互酬性によって、せまい閉じた仲間うちの中で利益のやり取りをし合う。たがいにお返しをし合う。そのことによって政治の行政がいちじるしくゆがめられる。特権(privilege)やえこひいき(favor)がとられてしまう。特権やえこひいきは自由主義(liberalism)においては認められないものだ。

 できるだけ互酬性によって国の政治を動かすのではないようにして行きたい。互酬性によってしまうと、せまい閉じた仲間うちでの利益のやり取りが行なわれて、和のしばりがはたらく。仲間うちでの和のしばりによって国の政治を動かすことで、行政がゆがめられることがおきる。不祥事が引きおこされる。自民党の政権ではそういったことが多くおきているのが目だつ。それを改めて行くためには、せまい閉じた仲間うちの和のしばりによるのではなくて、開かれた明示の明文化された決まりの理によってものごとをなして行く。人が治める人治主義ではなくて、法の支配(rule of law)や法治主義によることがいる。

 参照文献 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『女ざかり』丸谷才一 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫