中国の冬季の五輪への不参加の動きがおきている―中国がやらなければならないことは何か

 来年に中国の北京で開かれる冬季五輪に、外交として不参加(boycott)する国がおきている。アメリカやイギリスやカナダなどは、中国の五輪に外交として参加しないことを決めている。政府の関係者は参加しないが、選手は参加して競技を行なう。

 なぜ外交の不参加がおきているのかといえば、中国が国内で基本の人権(fundamental human rights)を侵害することをやっているからである。ウイグル自治区などでそれをやっているとされる。台湾や香港への、上からの弾圧が行なわれているのもある。

 五輪への外交の不参加にたいして中国は反発している。五輪を政治化するのはよくないとしていて、五輪の憲章に反することだとしている。

 人権の侵害をしているのがあることから、中国の冬季の五輪に外交として不参加をするのはいることなのだろうか。外交の不参加は、五輪を政治化するものだから、五輪の憲章に反しているのでよくないのだろうか。

 目的は何かを見てみられるとすると、五輪はたんに運動の競技を行なうだけのもよおしではなくて、より上位の平和などの理念を持つものでもある。より上位のところの目的をふまえると、中国が言っていることは次元が低い。もっと上位の目的をふまえるようにするべきだろう。

 唯物論(materialism)や実用主義(pragmatism)によるのが中国であり、普遍の抽象のところが弱い。普遍の抽象のものは西洋から来ているものが多いので、西洋のほうが優位性があり、東洋である中国は劣っているところがあり苦手としている。西洋と東洋とで枠組み(framework)のちがいがある。西洋に優位性がある普遍は、そうせねばならないといったところがあり、きつさがあり、押しつけのところがある。

 やられたらやり返すといったように、しかえしを行なうつもりなのが中国だろう。中国の冬季の五輪に、アメリカなどが外交の不参加をするのであれば、そのしかえしをするつもりなのが中国だと言える。そこに危なさがあり、中国のまちがいや悪さがあると言える。世界の中で大国になっているのが中国なのだから、大人のふるまいをするべきであり、しかえしをするべきではない。目には目を、歯には歯を(An eye for an eye,and a tooth for a tooth.)のあり方は危険性が高い。

 中国がよくないのは、他からやられたのをやりかえそうとするところにある。それをやってしまうと、とめどなくしかえしの連鎖がおきていってしまう。終わりのないしかえしのやり合いになってしまい、世界の中で争いが絶えなくなる。どこかでしかえしの連鎖を止めることがいり、そのためには大国の一つである中国がしかえしをしないようにして、他からのきびしい批判をしっかりと受けとめるべきである。

 日本で行なわれた五輪ではおもてなし(hospitality)が言われたが、これを中国は自国の五輪において見習うべきである。おもてなしによる客むかえをするようにして、中国にたいしてきびしい批判を投げかける国をこばむのではなくて受け入れるようにして行く。他からの批判に開かれているようにして、批判にしっかりと耳をかす。

 いまのところ中国がやっているのは、おもてなしの逆であり、味方か敵かに分けて、敵を遠ざけてしまっている。これでは世界が平和になることから遠ざかり、しかえしの連鎖がおさまりづらい。中国にとっての敵に当たる国をむかえ入れるようにして、敵に当たるところと交流を深めて行く。たんに五輪を開いてそこで運動の競技をやるよりも、より上位の世界の平和などの理念を重んじるようにすることが大切だ。大人のふるまいをして、いかに中国にとって敵にあたるものをおもてなしすることができるかが、中国の五輪では問われている。

 参照文献 「排除と差別 正義の倫理に向けて」(「部落解放」No.四三五 一九九八年三月)今村仁司 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『寺山修司の世界』風馬の会編