政党がファクトチェックを行なうことと、ほんらいファクトチェックをかけられるべきなのはだれなのか―表象としての政治家

 政党である日本維新の会は、党としてファクトチェックを行なっているようだ。報道で報じられていることや、どこかのだれかが言ったことの中で、維新の会がおかしいと思ったことをとり上げてファクトチェックをして行く。

 政党が党として世の中で言われていることの中の一つをとり上げてそれをファクトチェックすることはふさわしいことなのだろうか。

 交通でいえるとすると、政党がファクトチェックを行なうのは、党からほかのものに向かう一方向の単交通だろう。そのさいに党は能動の主体である。党のファクトチェックによってとり上げられることになるものは、受動の逆向きの単交通だ。

 そもそもの話として、権力をもつ政治家や、その集まりである政党がやらなければならないことは、世の中で言われていることのうちの何かをとり上げて、それをファクトチェックすることではないだろう。

 権力をもつ政治家がやるべきことは、自分で自分のことをファクトチェックすることだ。これまでに政治家としていろいろに言ってきたことややって来たことをふり返り、うそを言ったりまちがったことをしてきたりしたことを隠さないようにして行く。交通でいえるとするとそれはいまとかつてのあいだにおける現在と過去とのあいだのいまかつて間の交通だ。

 与党である自由民主党で首相をつとめた政治家が、国会において少なくとも一〇〇回を超えるうそをつく。日本の政治ではそうしたことが行なわれた。一〇〇回を超えるうそを国会でついていたことがわかったことはほんの氷山の一角にすぎないものだろう。国を転じてアメリカでは、共和党に属していたドナルド・トランプ前大統領はぼう大な数のうそを言っていたとされている。

 国の政治家は表象(representation)にすぎないものだから、日本であってもアメリカであっても、その国の国民とぴったりと合っているのではない。そこにはずれがある。国民そのもの(presentation)ではないことから、権力をもつ政治家はうそをつきやすい。ファクトチェックをきびしくかけられるべきなのは、公人である権力をもつ政治家に当たる。

 上が腐れば下も腐るといったことがあるから、上である権力をもつ政治家が腐りすぎると、その悪い影響が下におよんで行く。そうなってしまっているのが日本の社会ではおきているのだと見られる。上が腐っているのは、上である権力をもつ政治家が説明責任(accountability)を果たさないからなのがある。

 どうせファクトチェックを政党が行なうのであれば、いちばんの政治の権力の中心である与党である自民党の政治家たちにたいして行なうべきである。中心にあるのが自民党の政治家たちなのだから、そこにたいしてファクトチェックをきびしくかけて行くのでないと、いちばんやるべきところにたいして抜かりがおきてしまう。中心にたいしてではなくて、はしっこにいるものだったり、下にいるものだったりにたいして政党がファクトチェックを行なうのは、よくない権威主義を強めることにはなったとしても、それを相対化することにはつながりづらい。

 いったい何のためにファクトチェックをするのかの目的からしてみると、そもそも日本の政治の中でできるだけうそがつかれないようにして行くべきだろう。権力をもつ政治家たちができるだけうそをつくことをさせないようにして行く。そのためには政治家はあくまでも表象にすぎないことをくみ入れるようにして、公人である権力をもつ政治家の言っていることややっていることの中にあるうそやまちがいをきびしく批判するようにしたい。

 政治の中からできるだけうそを減らして行くのが目的としてあるのだとすると、それとは逆の方向に向かって進んでいってしまっているのが日本の政治のありさまだろう。政党が世の中で言われていることについてファクトチェックを行なうことにそのありさまが見てとれる。

 戦前や戦時中の日本では情報の統制が行なわれたが、その失敗が政治において教訓として生かされているとは言えそうにない。戦前や戦時中の大本営発表のように、情報の統制の思わくが政治家によってもたれていて、それが行なわれてしまっている。

 政治でうそが言われることを少なくして行く目的のためには、権力をもつ政治家や政党がどんどんきびしいファクトチェックにかけられるべきである。情報の統制が行なわれないようにして、情報を民主化して行く。それがいちじるしく欠けてしまっていて、上に甘くて下にきびしい二重基準(double standard)になっているのが現状だろう。

 参照文献 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方』山岸俊男 『情報政治学講義』高瀬淳一