首相と息子とは、まったく何の関係もないと言えるのか―日本の社会の集団主義とそこから引きおこされる不祥事

 息子と首相であるわたしとは人格が別だ。息子とは家計を別にしている。自分の息子にまつわる政治の不祥事において、与党である自由民主党菅義偉首相はそうしたことを言っていた。

 放送の会社に勤めているとされる菅首相の息子は、総務省の役人をくり返し接待していたという。この不祥事は息子の親である菅首相とはまったく関わりのないことだと言えるのだろうか。親は親であり、息子は息子だと言えるのだろうか。

 ことわざでは、かえるの子はかえるだとか、この父にしてこの子あり(Like father,like son.)といったことが言われている。それからすると、菅首相の息子がしでかしたことについて、親である菅首相にまったく関わりがないとは言えそうにない。

 修辞学の議論の型(topica、topos)の類似からの議論や因果関係からの議論で見てみられるとすると、菅首相が言っていることは、類似からの議論において、類似性が無いことを言っている。親と息子とは類似性がなくて差異によるとしているのだ。

 類似からの議論において、首相と息子とのあいだに類似性があるのであれば、おたがいに同じ内部にいる。差異によるのであれば内部(身内)と外部(他者)のあいだがらだ。首相の息子は首相の秘書をつとめていたことがあるとされるのもあり、首相にとってまったく外部のものだとは言えず、あるていどより以上において内部にあると言えそうだ。

 因果関係からの議論によって見てみられるとすると、菅首相の息子がしでかしたことは、あくまでも息子のせいなのだと菅首相はしている。これはふさわしいことなのだとは言えそうにない。因果関係において悪いことの原因を息子に押しつけているのがあるが、その原因が菅首相にはいっさいないのだとは見なしづらい。

 悪いことの原因が菅首相にはいっさい無いのだとは言いづらいのは、菅首相には社会においてあるていどより以上の高い地位にいる公人の政治家としての肩書きがあるからだ。その肩書きがものを言っているのがあり、菅首相の息子はその影響を受けて動いていた。いち個人としてといったことであるよりは、肩書きをもっている公人である政治家として菅首相には息子のやったことの責任をあるていどより以上に負うべきだと見なしてみたい。首相は説明責任(accountability)を負っているはずだ。

 西洋の社会のように個人主義になっているところでは、親と子どものあいだは差異によっている。それとはちがって日本は集団主義が強いから、親と子どものあいだは類似性によっているのがある。この類似性がわざわいして苦しんでいる親や子どもは少なくはないだろう。親や子どもが類似性によることから大きい負担を負ってしまう。日本の社会の制度は、個人ではなくて、世帯が最小の単位になっているから、個人にたいする手助けが弱い。

 日本の社会では、個人主義が弱いのがあり、集団主義が強い。このことを無視することはできづらい。それを無視しないようにするとすると、親と子どもとのあいだに類似性があるからこそ、菅首相の息子が不祥事を引きおこすことになったのではないだろうか。

 西洋の社会のように、個人主義がしっかりとしているのであれば、菅首相の息子が不祥事をしでかすことを引きおこすことはおきづらかった。その動機づけ(incentive)がはたらきづらかった。

 公人の政治家としての菅首相の肩書きがあって、その影響によって菅首相の息子が不祥事を引きおこすことになったのは、その動機づけがあるていどより以上に高かったことによる。そう見られるのがあるとすると、息子についての責任を菅首相はとるべきであり、それにくわえて日本の社会の悪いところを改めるようにするべきである。

 息子とは関係がないのだと言っている菅首相の言いぶんはきびしく見なせるとすれば無責任なものにひびく。きびしく見ればそうひびかざるをえないのは、西洋のように個人主義の社会のあり方に日本はなっていないのがあり、集団主義が強いのがあるからである。集団の中で和のしばりが強くはたらく。集団への同調や順応の圧が強い。帰属(membership)に重きが置かれる。

 集団主義の悪いあり方を政治の活動の中で改めようとすることがなくて、それを放ったらかしにしておく。それでいざとなったら息子とは関係がないのだと言うのは、あるていどより以上の高い地位にいる公人の政治家としてふさわしいふるまいだとは言えそうにない。集団主義に見られるような、日本の社会がかかえているさまざまな悪いところを改めようとしていないのだから、公人の政治家としてのあり方に少なからぬ怠慢があるのだと言えるだろう。

 参照文献 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『個人を幸福にしない日本の組織』太田肇(はじめ) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編