イスラエルとパレスチナの紛争と、争点―お互いのあいだの争点の解消がいる

 ぶつかり合いがおきている。中東のイスラエルパレスチナ(のガザ地区)においてだ。

 アメリカや欧州の国は、イスラエルをよしとしているのが多い。

 国とはちがい、人々は、イスラエルを批判して、パレスチナを良しとする示威(じい、demo)の行動を行なう。世界のいろいろな国で、(イスラエルが)パレスチナに暴力をふるうことを批判する示威の運動がなされている。

 イスラエルパレスチナガザ地区に暴力をふるうことは、正当化できることなのだろうか。それについての正当性を問いかけてみたい。

 おたがいに対立し合っているのがイスラエルパレスチナだ。お互いの間の争点がある。その争点を解消して行く。それが最もいることだろう。

 国が暴力をふるう。ロシアであれば、ロシアがウクライナに暴力をふるい、戦争をしかける。国の暴力は正当化や合理化されてしまいやすい。ロシアであれば、ロシアが暴力を自己正当化や自己合理化する。

 善性をもつものだとされやすいのが国だ。国つまり善性と見なされがちである。そこから、国がふるう暴力は正当化されやすい。イスラエルは国だから、イスラエルの暴力は正しくて、パレスチナの暴力はまちがっているといったことになる。

 国がふるう暴力は、正義だ。ロシアなんかは、ウクライナに暴力をふるって戦争をやっているけど、ロシアがなす暴力は正義である。ロシアは、そう見なしている。国がなす暴力に、正義のひびきを与えているのだ。正義のひびきを持たせている。いかにロシアの暴力は正しいかを、ロシアの国民にうったえかける。

 手段に当たるのが暴力である。よくない手段をとっているのがイスラエルパレスチナだ。おたがいに、悪い手段をとり合っている。暴力をふるい合う。

 手段のよし悪しは、ひっくり返ってしまう。悪い手段が、よい手段に転じてしまう。暴力は悪いとすることができるけど、それがひっくり返って、暴力は良いとなってしまう。戦争は悪いとできるけど、それが逆になり、戦争は良いとなる。正義のための戦争は良いものだとする、正戦論の戦争観だ。価値が逆に転じてしまうことがおきる。

 イスラエルパレスチナに暴力をふるい、こらしめるのだとしても、それによってお互いの間の争点が解消するわけではない。いっけんすると、イスラエルパレスチナに暴力をふるい、もめごとをおさめるのはイスラエルにとっては良いようではあるかもしれないが、必ずしもそうとは言い切れそうにない。

 かんじんなのはお互いの間の争点を解消することなのだから、それをやるのでないと、暴力が良しとされたままになりかねない。対立する相手への暴力は、手段として良いことなのだとされたままになる。

 価値にまつわることなのが、手段のよし悪しだ。哲学者のフリードリヒ・ニーチェ氏のいう神の死があり、最高の価値の没落がおきている。価値の多神教だ。国であるイスラエルが最高の価値をもつとはできないし、パレスチナが最高の価値をもつともできそうにない。

 最高の価値のぼつ落による価値の多神教があるから、自己中心化できないのがある。対立し合うものどうしが、おたがいに脱中心化して行く。お互いにゆずり合う。おたがいに(自己)中心化し合ったままだと、対立がつづいてしまう。いかに脱中心化できるかが重要であり、お互いのあいだを橋わたし(bridging)して行けるのかが求められる。

 完全に正しいのは色では白だ。まっ白とはできず、悪さである黒がまじる。灰色になる。イスラエルは灰色であり、パレスチナも灰色だろう。イスラエルは白で、パレスチナは黒だとはできないし、パレスチナは白で、イスラエルは黒だともできそうにない。対立し合っていると、自分たちは白で、相手は黒だとしがちだ。完全な白になることはできないのが、イスラエルパレスチナだ。性善説は現実論としてはなりたちそうにない。

 参照文献 『十三歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話』加藤朗(あきら) 『法哲学入門』長尾龍一構築主義とは何か』上野千鶴子編 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『戦争の克服』阿部浩己(こうき) 鵜飼哲(うかいさとし) 森巣博(もりすひろし) 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫現代思想の断層 「神なき時代」の模索』徳永恂(まこと) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『これが「教養」だ』清水真木(まき) 『現代思想を読む事典』今村仁司