安倍元首相のたましいは、とどまっているのか―たましいの存在と、ひょう在

 死者の魂が、まだとどまりつづけている。

 犯人に殺された安倍晋三元首相のたましいは、まだ日本にとどまりつづけているのだとしているのが、与党である自由民主党の経済安全保障担当相である。

 安倍元首相のたましいは、まだこの世にとどまりつづけているのだろうか。

 かけがえがなかったのが安倍元首相であり、だれ一人として代わる者がいない政治家だったのだとも経済安全保障担当相は言う。

 たしかに、日本の政治においてそうとうな実力を持っていたのが安倍元首相だった。安倍元首相の代わりになる政治家がいくらでもいるのであれば、安倍元首相はかけがえがあったことになるけど、(必ずしもよい意味ではなくて)代わりが見あたりづらいのが安倍元首相だ。

 たましいが、まだこの世にとどまっている。そう見なすのは、韓国のカルト(cult)の宗教を利することになってしまう。テレビ番組で芸能人はそう言っている。カルトの宗教の思想の傾向(ideology)に沿うようなことになってしまう。それはまずいことだ。

 交通論で見てみると、たましいは存在しているかどうか分からない。存在論としてたましいがあるかは分からない。有るか無いかによるのが存在論であり、存在するとはどういうことかを考えることだ。

 有るか無いかとはちがって、いまとかつてのいまかつて間(かん)で見てみられる。憑在(ひょうざい)論だ。安倍元首相は、犯人に殺されてしまったけど、いまだにひょう在しつづけている。たましいがではなくて(たましいについては分からないが)、人物としてや、政治家としての安倍元首相は、いまだに日本にひょう在しつづけているのがある。

 いつまでも忘れられない。それとは逆に、いなくなったことで忘れられてしまう。その二つがあって、安倍元首相がいなくなったことで思いがつのる(Absence makes the heart grow fonder.)のがあるのとともに、去る者は日々にうとし(out of sight,out of mind.)もまたある。忘れられて行っているのが安倍元首相でもある。すでに過去の人になっている。

 よくない形でひょう在しているのが、いまの時点での安倍元首相だ。よい形ではない。きちんとした評価を下すためには、距離が近すぎると適した形ではできない。距離を離さないと適した評価を下しづらい。まだ安倍元首相については、距離をとることができないのがある。

 去る者は日々にうとしで、たんに忘れられて、過去の人になるだけであれば、めずらしいことではない。どういったものであったとしても、それが人々の目に触れられなくなり、とり上げられなくなれば、忘れられて行くのが一般的である。

 生きていたときから、へんな象徴化(symbolize)がなされていたのが安倍元首相だ。犯人に殺されたことによって、象徴化が少し修正された。フタのおおい(cover)がされていたのが取れたのがあって、韓国のカルトの宗教と結びついていたことが明るみに出た。

 へんな象徴化をすることによって、生きていたときの安倍元首相は成り立っていた。そうしたものを、いつまでも忘れないようにしたところで、意味があることだとは言えそうにない。

 へんに象徴化した形での安倍元首相は、それそのものは無意味な客体(object)である。意味があることとしては、政治家としてなしたことについてを批判をして行く。本質をぎんみして行く。否定の契機が隠ぺい化されていたのを、明るみに出す。

 へんな象徴化は、構築されたものであり、それは人為や人工によっている。構築されたものとしての安倍元首相は、悪の力によっていたのがあり、無意味さや虚無によっていた。中身はとくに無かった。

 いっさいの既成の価値を否定する立ち場なのが虚無主義(nihilism)だ。なにを否定したかでは、戦後の憲法や、それにもとづく体制を否定したのが安倍元首相だった。憲法や、戦後の民主主義などをすごいきらっていた。戦後の体制(regime)から脱することを言っていた。そう言いながらも、本人は体制(日本の国体)の中の中心にいたのである。世襲の三世だった。日本の国のど真ん中にいた。正統だったのである。

 日本の国体としての体制は、意味がないものになっているのがいまのありようだろう。日本の国体としての体制は、天皇制や、父権制(paternalism)や、男尊女卑や、アメリカに従属するものだけど、その体制のあり方は構築されたものにすぎず、自明性が無くなってきている。

 安倍元首相についてを、すごい中身があって、すごいよい力を持っていたかのように構築するのはおかしいものだから、脱構築(deconstruction)されなければならない。日本の国体としての体制もまた、脱構築されることがいるものだろう。戦後の憲法や、それにもとづく体制を、(それらを絶対化するのではないにしても)いまいちど十分に見直すべきだ。(固有の性質である特殊さではなくて)つねに当てはまる性質である、普遍のあり方を見直すことがいる。

 参照文献 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『悪の力』姜尚中(かんさんじゅん) 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし) 『世襲議員 構造と問題点』稲井田茂(いないだしげる) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫