安倍元首相にたいする、二つの見かた―大きな物語(一神教)と、小さな物語(多神教)

 生きていたときと、殺されたあとの安倍元首相を見てみると、どういったことが見えてくるだろうか。

 生きていたときの安倍晋三元首相は、大きな物語が通じやすかった。政治ですごい大きな力を持っていたから、大きな物語が通じていたところがあった。

 犯人に殺される事件がおきたことで、大きな物語が通じづらくなった。小さな物語と化す動きがおき出したのである。

 大きな物語の終えんは、神の死だ。神、つまり最高の価値があって、それが没落した。価値の多神教になっている。

 事件がおきる前の、まだ安倍元首相が生きていたときは、安倍元首相が神だとされていて、最高の価値をもっていた。やや大げさだけど、神だとできるくらいに安倍元首相がもつ政治の力はすごく大きかった。事件がおきたあとでは、最高の価値が没落して、神の自明性がくずれてきている。

 大きな物語は終えんしているところがあるけど、それを保たせつづけようとする動きがとられている。

 どういう動きがとられているのかといえば、国葬をやったり、安倍元首相についての調査をさせないようにしたり、安倍元首相の記念の紙幣を作ろうとしたりする動きがある。これらの動きは、大きな物語を保たせつづけようとするものだろう。

 事件がおきたことがきっかけとなって、それまでは大きな物語が通じていたのが、通じづらくなって、大きな物語の一本によるだけではなくなっていて、それが終えんするのがおきている。

 大きな物語の一本だけではなくて、大きな物語を保たせつづけようとするのと、小さな物語と化すのとの二本の動きがおきている。それがいまの状況だろう。

 科学のゆとりが欠けてしまっているのが、大きな物語を保たせつづけようとすることだ。あい変わらず、大きな物語を保たせつづけようとしていて、それを通じさせつづけようとしているのであり、安倍元首相をいだいな政治家だとさせつづけようとしているのである。

 どういう欠点が大きな物語にはあるのかといえば、科学のゆとりが欠けている点だ。生きていたときの安倍元首相は、大きな物語によっていたけど、それによって科学のゆとりが欠けていたのだ。何としても負けるわけには行かないのだといったことで、韓国の新宗教(旧統一教会)と深く結びついてまで選挙で勝ちつづけようとしていて、じっさいに勝ちつづけていたのである。

 どういうよさが小さな物語にはあるのかといえば、科学のゆとりを持てることだ。脱構築(deconstruction)することができる。上げ底にされすぎな安倍元首相の構築のされ方を、下方に修正することができる。

 否定の契機が隠ぺいされていて、ふたのおおい(cover)がかぶせられていれば、大きな物語が通じやすい。生きていたときの安倍元首相は、自分がフタのおおいの働きをしていたから、大きな物語が通じやすかった。

 安倍元首相そのものが、フタのおおいとして働いていたから、事件がおきて殺されたことによって、ふたのおおいがとり外されたところがあり、否定の契機が一部だけ明るみになった。政治と宗教とのゆ着がおもてに出てきて、それが知られるようになったのである。

 いまだにいぜんとして大きな物語を保ちつづけようとしてしまうと、表象(representation)をとりつづけることになる。表象はうそであるのがあり、そのうそを保たせつづけようとすることになってしまう。

 いだいな政治家だったのが安倍元首相なのだとして、大きな物語によるようにするのは、表象であることになり、うそになる。大きな物語をとるのだと、安倍元首相の代理人(表象)のようになってしまう。

 安倍元首相を批判させないようにしていたのが、生きていたときの安倍元首相だったのがあり、そのあり方が表象によるものだった。表象はうそなのがあるから、そのうそを良しとしてしまうことになるのが、大きな物語をとることだ。

 いまは大きな物語が終えんしているところがあり、小さな物語と化すようになっていて、表象のうそがあばかれることがおきている。くぼみ(niche)にはまっているのがあって、むりやりに大きな物語を保たせつづけようとするのと、小さな物語と化すのをさらに進めて行こうとすることの二つの動きがとれる。

 くぼみにはまっているのからどうやって脱するべきなのかといえば、むりやりに大きな物語をとるようにするのは得策ではないだろう。それをやってしまうと、科学のゆとりが欠けたままになり、日本の国が迷走しつづけて、暴走しつづけてしまう。こんめいが深まって行く。

 小さな物語によるようにして、科学のゆとりを持つようにすることによって、くぼみから脱して行く。いだいな政治家だったのが安倍元首相だったのだとする上げ底のいんちきの構築を改めて行く。脱構築をして行く。

 優の階層(class)にあったのが安倍元首相だとする構築は、まちがったものだったのがあり、その構築のしかたが、差別によるものだった。安倍元首相を特権化してしまっていた。差別をなくして行き、特権化をなくして行くようにすることがいる。

 構築されているのは、人為や人工によるものだから、いろいろに変えることがなりたつ。優の階層に置きつづける構築のしかたは、固定化させづらい。固定化させて、基礎づけたりしたて上げたりすることは適していないのがあり、脱構築して行くのがふさわしい。

 構築を固定化させて自然化や本質化するのではないようにして、脱構築するようにして、反基礎づけ主義でやって行く。優の階層から、安倍元首相を下に引きずり下ろすことがいる。せめて、優と劣の二つの階層の中間(優と劣のあいだのところ)くらいにまでは、下に引きずり下ろさないとならない。

 参照文献 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫現代思想を読む事典』今村仁司編 『現代思想の断層 「神なき時代」の模索』徳永恂(まこと) 『なぜ「話」は通じないのか コミュニケーションの不自由論』仲正昌樹(なかまさまさき)