死んだ人(政治家)を調査するのはできないことなのか―生者と死者の、調査の難易度のちがい

 死んでしまった人を調査するのには限界がある。

 死んでしまった安倍元首相を調査するのは、限界があるから難しいのでやらないのだと、岸田首相はしている。

 死んでしまったからといって、韓国の新宗教(旧統一教会)のことで、安倍晋三元首相を調査しなくてもよいのだろうか。

 何が調査することをうながし、何が調査のさまたげとなるのかを見てみたい。

 調査をするべきだとしているのは、おもに反安倍だろう。

 調査をするべきではないのだとしているのは、安倍元首相の当人だった。調査されていちばん困ることになるのは、安倍元首相の当人だったので、力づくでもそれをさせない。まだ犯人に殺されていなくて、生きていたときの安倍元首相はそうだった。

 動機づけ(incentive)の点から見てみると、調査への動機づけをまったくもっていなかったのが、安倍元首相だった。まだ事件がおきる前の、生きていたときの安倍元首相がそうだったのである。

 事件がおきたあとでは、調査への動機づけが高いのが反安倍であり、その動機づけが低いのが安倍元首相の関係者や代理人だ。いまは安倍元首相は殺されたので生きていないけど、その関係者や代理人は、生きていたときの安倍元首相とほぼ同じ動機づけのあり方をもつ。

 てっていした調査が行なわれるべきなのにもかかわらず、それがなされていないのが、安倍元首相だ。そこに問題がある。

 問題があるのを片づけて行くさいに、まだ事件がおきる前の、生きていたときの安倍元首相を、力づくで調査させるのは難しかった。強大な権力をもっていたのが生きていたときの安倍元首相だったから、その安倍元首相をむりやりに調査するのはかなり難しかった。

 生きていたときには当人を調査するのはむずかしかったけど、当人が死んでしまったのがいまだから、調査がしやすくなっている。生きていたときと比べると、死んでしまったいまのほうが、より調査が易しくなっている。

 問題があるのは、目標の状態と初期の状態が離れているのを示すけど、事件がおきる前の、まだ安倍元首相が生きていたときには、その二つの状態のあいだはそうとうに大きく離れていた。

 事件がおきて、安倍元首相が死んでしまったことによって、二つの状態のあいだの距離は縮んだ。初期の状態から、目標の状態へとより進みやすくなったのである。安倍元首相についてをてっていしてしらみつぶしに調べ尽くした状態である、目標の状態により向かいやすくなった。

 やろうとしさえすれば、安倍元首相を調査することができるようにはなったけど、それがなされていない。問題はあるけど、それが片づけられていない。なぜ片づけられていないのかといえば、事件によって安倍元首相は死んでしまったが、その関係者や代理人がいまだに力を持ちつづけているからだ。

 空いている穴に、大きなフタがされていて、そのフタを引きはがすことになるのが、安倍元首相を調査することだ。空いている穴に大きなフタがされているのが問題になっていることで、フタを引きはがして調査することが、問題を片づけることだ。

 生きていたときの安倍元首相は、自分が大きなフタとしてはたらいていて、いまはそのフタがとれた状態だ。フタとしての安倍元首相は死んでしまったけど、すぐさま代わりのフタがかぶされているのがいまだ。代わりのフタは、安倍元首相の関係者や代理人である。

 おもて向きで言っていること(message)とは別に、どういう意図(intention)を岸田文雄首相は持っているのかといえば、こうしたものだろう。事件で、安倍元首相は死んでしまったが、フタだったのが安倍元首相であり、そのフタがとれた。とれたフタの代わりとなるフタをすかさずかぶせる。

 フタがとれたけど、そこですぐさま、空いている穴を隠すために、代わりのフタをかぶせる。代わりのフタである、安倍元首相の関係者や代理人が、力を持ちつづける。代わりのフタで、穴を見えなくさせつづけて、隠しつづけて行く。

 死んだ政治家の調査には限界があって難しいのではなくて、岸田首相の意図としては、こうしたことをいだいていそうだ。調査が易しくなったけど、それを難しくさせて行く。調査できなくさせる。フタがとれたのを、代わりのフタをかぶせれば、調査させないようにできるから、代わりのフタをかぶせつづける。

 調査が難しいのは、安倍元首相が死んでしまったからなのではなくて、むしろ調査はしやすくなったけど、代わりのフタをかぶせているからなのである。代わりのフタが、調査のさまたげになっているのだ。代わりのフタがかぶされていなければ、安倍元首相をてっていしてしらみつぶしに調査することができるものだろう。

 参照文献 『創造力をみがくヒント』伊藤進 『社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで』山岸俊男 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ)