国葬と、情報の政治(infopolitics)―情報の操作が行なわれている

 これから行なわれることになっているのが、安倍元首相の国葬だ。

 情報の政治の点から国葬を見てみるとどういったことがわかるだろうか。

 それなりの反対がおきているのが、安倍晋三元首相の国葬だ。

 あらかじめ見こしていたようには、動員(mobilization)することができていないのが国葬だろう。

 甘い見通しであれば、それなりに多くの人たちを動員できそうだったのが国葬だ。

 ふたを開けてみたら、必ずしも人々をうまく動員することができなかった。動員されない人々が多くおきたのである。

 動員に失敗しているところがあるのは、情報の操作がうまくきいていないのがあるかもしれない。

 情報の政治や情報の操作(disinformation)がなされているのが国葬であり、それによって国葬をよしとさせようとしている。反対させない。

 それなりのしょうげきの度合いがあったのが、犯人に安倍元首相が殺された事件だ。しょうげきがそれなりにあった事件だったので、それによって上からの情報の操作がなされていたことの化けの皮が少しだけはがれた。

 情報の操作をやっていたのがあるけど、その化けの皮が少しだけはがれたので、国葬への動員があまりできづらくなった。

 ことわざでは、うそはあとではげると言われる。国葬では、あとではげてしまううそがたくさん言われることになりそうだ。安倍元首相にたいするうそがたくさん言われる。あとでであるよりも、すでに(いまの時点で)はげてしまうようなうそによるものなのが国葬だろう。もうすでにそれなりにはげているのだ。

 情報の操作をこれまでにやりまくっているのが日本の政治だ。それをやりまくっているので、色々なことが隠されてしまっている。色々な穴に、フタのおおい(cover)がかぶされていて、見えなくなっている。

 それなりに人々をうまく動員することができていたのは、情報の操作をやりまくり、情報の政治をやっていたからだ。それによって人々を動員していたのがあるけど、それは色々な穴にフタのおおいをして隠すことによって成り立っていたものにすぎない。

 ちゃんと説明の責任(accountability)をはたして、言葉の政治をしっかりとやって、それで人々を動員できていたのではなかったのである。不正なやり方で人々を動員していたから、よいやり方ではなかった。悪い情報の政治が行なわれていたのである。

 いままで情報の操作をやりまくってきたのがあるけど、それの反動がいま少しおきているところだろう。事件がおきたことで、反動が少しおきているのがあり、これまでにゆがみやひずみがおきまくっていたのが少しだけ直されている。

 不正な情報の政治をやってきていることで、そうとうなゆがみやひずみがいまたまっているところであり、事件がおきたことによって、そうとうにゆがみやひずみがたまっていることが一部だけ浮きぼりになった。それが一部だけ浮きぼりになったのがあるので、人々がいままでのようにたやすく動員されることがおきなくなった。

 生きていたときに、情報の操作をばんばんやりまくっていたのが安倍元首相だった。それによってすごいゆがみやひずみが今たまってしまっている。そのつづきで、それなりに多くの人を動員できるだろうと見こしてなされることになったのが国葬だろう。

 安倍元首相が生きていたときの負の効力が、つづいているところもあり、つづかなくなっているところもあり、二つに分かれている。動員される人もいれば、されない人も出てきているのだ。動員のさまたげになるような情報が、いま出てきているからだろう。政治と新宗教とのつながりなどの、政治のぎわくがいまとり沙汰されている。

 参照文献 『情報操作のトリック その歴史と方法』川上和久 『情報政治学講義』高瀬淳一 『情報汚染の時代』高田明典(あきのり) 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!』細野真宏 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司