マイナンバーカードの問題性(problematic)―うまく行くのか、行かないのか

 西洋の哲学の弁証法によってマイナンバーカードを見てみる。そうするとどのようなことがわかるだろうか。

 第三の道を創造する方法なのが弁証法(dialectic)だ。

 いまはいろいろな不具合がおきているのがマイナンバーカードだ。矛盾がおきている。これから先にその矛盾が解決されれば、正と反がうまく合に止揚(aufheben)されたことをしめす。

 いまはカードに矛盾がおきている。いったんカードを取得した人であっても、返納する動きがおきている。みんながカードを取得するべきなのだとすれば、返納の動きはそれに反するものなのだから矛盾だ。取得するべきなのにも関わらず返納への動機づけ(incentive)がおきているのなら矛盾である。

 いまおきている矛盾がこれから先に確かに解決されて、合の止揚(しよう)にいたることになるのかは定かではない。矛盾がより深まって行くこともないではない。

 カードが開発されたことは、正であり、問題の提起だ。その正にたいして、反がおきているのがあり、問題の発生に当たる。カードに色々な不具合がおきているのだ。

 うまくすれば、正と反がある中で、これから先に合の止揚にいたることができるかもしれない。そうなれば、問題の克服がなされたことになる。

 きびしく見れば、そうかんたんにカードの矛盾が解決されるとは見なせそうにない。けっこう深い矛盾を抱えているのがカードにはあり、それをうまく片づけて、合の止揚にもって行けるかは不たしかだ。

 どういうふうにカードを見なすのかでは、カードをおし進めている与党である自由民主党は、認知において確証の認知のゆがみが働いているのがあるかもしれない。

 カードについて、確証の認知だけがはたらいていると、カードを肯定するだけになってしまう。カードを良しとするだけになる。

 確証の認知のゆがみにおちいっているのだとすれば、正と反がある中で、反をとり落とす。正つまり合としてしまう。ちゃんとした問題の克服にいたらない形の見せかけだけの合になっているのだ。

 日本の政治のあり方は、正つまり合であることがとても多い。反をとり落としている。カードでもそうなっているのがあり、矛盾がそうとう深ければ、合の止揚にいたることができそうにない。矛盾が解決されない。

 カードのことにかぎらず、ほかの色々な政治のことでも、矛盾が解決されていないのが日本だろう。一人だったらまだしも、集団においては矛盾がおきやすいのがあり、それを片づけるのは難しいことがしばしばある。集団の中には色々な人がいるからだ。

 具体のものなのがカードだけど、それを一般論にしてみて、抽象論で見てみると、集団において矛盾を片づけるのはできづらいことが多い。アポリア、つまり永遠に答えが出ない難問のようなものだ。

 集団でおきてしまう矛盾としては、効率性と公平性がある。効率性と適正さがある。効率性をよくしようとすると、公平性や適正さがないがしろになる。公平性や適正さを重んじると、非効率になってしまう。

 第三の道として、効率性と公平性や適正さを共にそなえたものとしてカードを創造できれば、そうとうにすぐれたものになりそうだ。そうした第三の道を創造できれば、すべての国民に益になるカードになるだろう。日本の政治で、そうした道を創造する力があるのかといえば、かなりぎもんだ。(期待するのであるよりも)うたがわしいと言わざるをえない。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!』細野真宏 『効率と公平を問う』小塩隆士(おしおたかし)