マイナンバーカードの不たしかさ―カードの土台(基礎)のぐらぐらさ

 マイナンバーカードを、もつべきなのだろうか。

 いったんカードを取得したとしても、それを返納する。そうした動きが増えているという。

 カードを返納する動きがおきているのは、いろいろな不具合がカードでおきているのがあるからだ。

 たとえカードに不具合がおきているのだとしても、このままカードを国民に持たせることを、おし進めて行くのが正しいのだろうか。

 与党である自由民主党は、カードを国民に持たせることをおし進めている。カードに色々な情報を一元化させることで、すごい効率が良くなる。

 形式論と実質論に分けて見てみると、形式としてのカードと、実質としてのカードが合っていない。その二つがずれてしまっている。

 形式としてのカードは、理想論のものだ。まったく不具合がおきず、何も問題がおきない。効率性がすごく高くなって、国民に益になる。

 実質としてのカードは、現実論のものだ。いろいろな不具合がおきてしまっていて、起きてはいけない問題が色々におきてしまっている。カードを持っていると損をこうむる国民がいる。

 ものごとのあるべき姿がエイドスであり、エイドスとしてのカードは形式だ。それとはちがって、ものごとの素材であるのがヒュレーであり、実質のものだ。ヒュレーとしてのカードは、いろいろな不具合を引きおこすものになっている。

 芸能人でいえば、エイドスとしては清純派の女優がいる。形式(エイドス)としてはそうあつかわれているけど、実質(ヒュレー)としてはひんしゅくを買うようなことをやってしまう。形式と実質とがずれているわけだけど、そのずれを隠せているうちはよいが、ずれがあらわになると、形式が通じなくなってしまう。形式を使った商売ができなくなる。

 可能性がデュナミスであり、現実性がエネルゲイアだ。いまは色々な不具合をおこしているけど、これから先にそれが修正されて、すごい良いものになる可能性がはたしてどれくらいあるのかがぎもんだ。

 可能性であるデュナミスとしては、カードがいろいろな不具合を引きおこす見こみがあった。その可能性をないがしろにしたのが自民党だろう。

 現実性であるエネルゲイアでは、カードがいろいろな不具合を引きおこしているけど、それを大したことではないと高をくくっているのが自民党だろう。いまは不具合があっても、これからそれを修正すれば何とかなる。かんたんに改良できる。

 形式であるエイドスとしては、あたかもすごい良いものであるかのように上げ底にされているのがカードだろう。形式と実質とがずれてしまっていて、実質であるヒュレーにおいてはカードを持っていてかえって損や害が国民におきかねない。

 これから先にカードがどういうふうになるのかの、可能性であるデュナミスについては、はっきりとしたことは言えそうにない。そこは言い切ることができないけど、これから先にカードが改良されて、すべての国民にとって便利であり、(カードを持つことで)すべての国民の効用(utility)が増えることになるのかは定かではない。カードに色々な情報を一元化するよりも、分散化しておくほうがよいといったふうになる(つまり元にもどる)可能性もありそうだ。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)