いまのウクライナとロシアの戦争を、止めるべきか、つづけるべきか―このまま戦争をやり続けたほうがよいのか

 ウクライナが、いま戦争を止める。そうすると、ロシアを利することになってしまう。だから、いま戦争を止めるのは良いことではない。ウクライナのためにも、戦争をつづけるべきだ。そういう見かたがあるけど、それは正しいことなのだろうか。

 たしかに、いくら戦争がよくないことだからといって、それを止めることで、ウクライナが損をして、ロシアが得をすることになるのはのぞましくはない。ロシアが戦争をはじめたのだから、そのロシアに利益になってしまっては良くないのはある。

 戦争をけんかになぞらえるのは適していないかもしれないが、けんかでいえば、そのしはじめがある。

 はじめのほったんは、どういうことからはじまったのかであり、それは起源に当たるものだ。起源をもち出すのは、神話(myth)によることになる。

 たとえば、国の起源なんかをもち出すのは、神話だ。日本の国の歴史でも、国のはじめをもち出すのがあるけど、そうなると神話によることになる。

 いま行なわれているウクライナとロシアのあいだの戦争では、それを止めるべきだとするのもあり、つづけるべきだとするのもある。その中で、(いろいろな立ち場をとるのが許される中で)止めるべきだとする立ち場をとりたい。

 いま行なわれている戦争を止めることの良さとしては、それが、いまおきている紛争を処理することにつながるからだ。

 紛争を処理するためには、完ぺきな正義をなすことをとりあえずあきらめないとならないだろう。逆にいうのなら、完ぺきな正義をなそうとするのであれば、戦争を止めることをあきらめざるをえない。

 正義がなされずに、不正が残ってしまう形でしか、紛争を処理しづらい。戦争を止めづらい。あとに不正が残ってしまい、つり合いが崩れる。罪と罰のつり合いの矯正(きょうせい)の正義からするとまずい形にはなるけど、戦争によっておきる大きな不幸はとりあえずこれ以上はおきなくなる。

 いま戦争をやっているまっさいちゅうだと、ウクライナもロシアも、(人でいえば)頭の中がかっかとして熱くなっている。頭の中が熱くなってかっかとしているのは、よくない状態だ。頭を冷やさないとならない。戦争を止めれば、頭を冷やすことにつながる。逆にいうと、戦争をつづけているかぎり、頭を冷やすことはできづらい。

 ロシアを利してしまうのはあるかもしれないけど、いま行なわれている戦争を止めれば、西洋の哲学の弁証法(dialectic)でいえば、正と反を合にする止揚(aufheben)にいたらせられる。戦争をつづけてしまうと、合の止揚(しよう)にいたらせられない。正と反がぶつかり合いつづけてしまう。

 正と反がぶつかり合っているのであれば、それを合の止揚にいたらせることがいる。合の止揚にいたらせて、とりあえずいま行なわれている戦争を止めるようにする。かりにそれができたとしても、それをよい合と見るか、悪い合(ロシアを利することになる合)と見るかがあって、どちらが正しいかはいちがいには言えそうにない。

 戦争を止めるのは、悪い合だと見なすこともできるけど、戦争がつづくよりかはましなのではないだろうか。ロシアを利してしまう点では悪い合だけど、それよりももっと悪いのが、戦争がつづくことだろう。戦争がいちばん悪いことであり、それが止められたのであれば、いちばん悪いありようよりは少しはましになったことになる。そう見なしてみたい。

 どういう状態なのかを比べてみると、戦争をやっているのは戦争状態(natural state)だ。自然状態である。戦争を止めるようにすれば、合の止揚にもって行けて、社会状態(civil state)にいたらせられる。戦争状態よりは社会状態のほうがまだましだ。

 より正確にいうのであれば、戦争を止めれば、戦争状態が少しはやわらぐ。そういえるのにとどまる。世界の全体は、社会状態にいたるにはほど遠い。世界の全体が社会状態にいたるためには、世界における中央の政府が打ち立てられることがいる。いまだに世界における中央の政府はないから、(かりにウクライナとロシアの戦争が止まったところで)世界は戦争状態でありつづけているのが現実だ。

 参照文献 『十三歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話』加藤朗(あきら) 『職業は武装解除』瀬谷(せや)ルミ子 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『法哲学入門』長尾龍一 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『戦争の克服』阿部浩己(こうき) 鵜飼哲(うかいさとし) 森巣博(もりすひろし) 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『ねじれの国、日本』堀井憲一郎