よい政党の、よい党首―よい政治家の言うことややることは、ぜんぶが正しいのか(基礎づけ主義はなりたつのか)

 よい政党の、よい党首がいる。よい党首であれば、すべて信じ切ってしまってよいのだろうか。党首の言うことややることを、すべて良しとするのでよいのだろうか。

 自分がよしとする政党の、よい党首であれば、その党首のことを信頼することになる。信頼できるような党首は、自分と価値が合う。価値観が合っているのである。

 たとえよい党首であったとしても、信じ切らないほうがよい。信頼し切るのではなくて、うたがうようにしたほうがよい。信頼するのと共に、うたがうのもあったほうがよい。そのように見なしてみたい。

 大前提となる価値観をもち出してみたい。政党の党首は政治家だけど、政治家についてをどのようにとらえるべきなのかがある。

 そもそもの話として、政治家であるのなら、(その政治家についてを)うたがうことがあったほうがよい。うたがうようにしたほうがよい。大前提の価値観として、そういったあり方をとることがなりたつ。

 すごいよい政党の、よい党首がいるのだとして、その党首がどういった大前提となる価値観を持っているのかがある。

 たとえよい党首であったとしても、自分のことをうたがうなとか、自分のことを信じろとか、信頼しろといったような大前提となる価値観をもっていたら、それは良いあり方だとは言えそうにない。

 いっさい自分のことをうたがうべきではない。完ぺきに信じるべきだ。完全に信頼しないとならない。そうしたあり方は、その政治家をすごい良いものに基礎づけたりしたて上げたりする基礎づけ主義だ。

 反基礎づけ主義であれば、その政治家を良いまたは悪いものと基礎づけたりしたて上げたりできづらい。よい政治家にも悪いところがあり、悪い政治家にも良いところがある。丸っきり良い政治家はいないし、丸っきり悪い政治家もいない。

 どういうふうな大前提の価値観を党首はもつべきなのか。政治家であるのが党首なのだから、それをうたがうことがあってよい。信じなくてもよい。信頼できないところがあってもよい。そういうふうであれば、まっとうなあり方だ。

 野党である日本共産党についてを見てみると、いまの党首は、まっとうな大前提となる価値観をもっているとは言えそうにない。

 共産党の党首はどうあるべきなのかといえば、もっと政治家である自分のことをうたがえ。どんどんうたがってほしい。必ずしも信じなくてよい。ぜんぶを信頼しなくても良くて、信頼できないところが(部分として)あってもよいのだとする。

 じっさいの共産党の党首はどうなのかといえば、党首がもっている大前提の価値観を批判できる。政治家である党首のことを、うたがわせない。信じさせる。信頼させる。信頼できないところはまったくない。こういったあり方をしているものだろう。これはよくないあり方だ。

 選ばれ方である形式のところは置いておくとすると、実質として見たらいまの共産党の党首はけっこうすぐれている。(民主主義の手つづきによっているかどうかなどの)形式は抜きにすると、実質としてはけっこう良いのがあるけど、大前提の価値観を見てみるとおかしさがあるのはいなめない。

 価値がお互いに合っていたら、その人を信頼することになる。それで党首を信頼することになるけど、それと共に党首をうたがうこともできたほうがよい。何でもかんでも党首に同意するのではなくて、不同意なところを持てたほうがのぞましい。

 不同意なところを持てたほうが、自分の意見を作れる。党首とはちがって、これについては自分はこう思うといった自分なりの意見を作れるから、ぜんぶを党首(または政治家)と同意してしまわないほうが安全だ。同意するのではなくて、不同意にできたほうが価値をもつことが中にはある。

 参照文献 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『人を動かす質問力』谷原誠 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『知の技法』小林康夫 船曳建夫(ふなびきたけお) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『正しく考えるために』岩崎武雄 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『うたがいの神様』千原ジュニア