日本の政治の、不正や不祥事の体質―体質の改善の必要性

 日本の政治では、なぜ不祥事がいくつもおきているのだろうか。

 法をないがしろにする。憲法をふくめた、法を軽んじる。法治ではなくて、無法(outlaw)のあり方になっていることが、不祥事がおきることのもとにありそうだ。

 日本の政治家には、無法者が少なくない。愛国や右傾化だと、そうなりやすい。

 普遍の法の決まりを生み出すことができていないのが日本だ。日本のあり方は、無法のところがある。日本をよしとすると、無法のあり方になり、不祥事がおきやすい。

 普遍ではなくて、特殊なところがあるのが日本だから、普遍化できない差別がおきやすい。特権化がおきやすい。政党では、与党である自由民主党が特権化されている。

 特殊におちいりすぎずに、普遍化できない差別をなくして行く。普遍の法の決まりによるようにして行く。日本は自分たちでは普遍のものを生み出せていないから、外から借りてくるしかない。

 内から生み出したものではないから、普遍のものに外来性がおきるのが日本にはある。普遍のものに外来性があるから、それが日本にしっかりと定着しづらい。しっかりとした原理として日本に根づきづらい。根なしのようになる。

 外から借りてきたものではなくて、内からのものにしようとすると、日本では特殊なあり方になってしまう。特殊なあり方になってしまい、無法になる。政治では、無法者がたくさん出てきてしまう。いまの日本の政治のありようはそうなっている。

 日本だけによるのだと、特殊なあり方であり、普遍化できない差別がおきてしまう。自浄の作用がはたらかない。腐敗しつづけて行く。腐敗に歯止めがかからない。

 政治で不祥事がおきたのであれば、それがしっかりと正されることがいる。そうしないと信頼が回復しない。価値を共有し合えない。普遍の法の決まりによるのでないと、信頼することができない。

 政治の不信がそうとうに深くなっているのがいまの日本だろう。政治で不祥事がおきても、それが正されていない。そのままになっていて、放ったらかされている。甘く見逃されている。信頼を回復することができていなくて、価値を共有し合えていない。政治への不信が深まるばかりである。

 日本の国のことを良しとしてしまうと、政治の信頼が失われてしまう。日本は特殊なあり方だから、内からは普遍のものを生み出すことができていない。愛国や右傾化になると、特殊さへのかたむきがすごく強まって行き、政治で不祥事がやたらにおきることになる。無法者の政治家がどんどん出てくる。

 目をおおいたくなるくらいに、いろいろな不祥事が政治でおきていて、それがぜんぜん正されていない。首をかしげざるをえないけど、それは日本の国が特殊なあり方であることから来ている。普遍によるようにするためには、外から借りてこないとならないから、愛国や右傾化が強まっている中ではそれはきわめてできづらい。

 愛国や右傾化がおきていると、日本は無法や無規範のようになってしまい、よるべき法や規範がなくなってしまう。法や規範ではなくて、おきてが支配することになる。おきては、一般性や通用性がないものであり、広く受け入れられる価値によっているものではない。

 参照文献 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『右傾化する日本政治』中野晃一 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『「戦争と知識人」を読む』加藤周一 凡人会