国の政治の右傾化の流れを止めるための戦いの必要性―闘争や政局の必要性

 野党どうしでやり合いがおきている。日本維新の会が、ほかの野党を悪く言ったことにたいして、とりわけれいわ新選組がやり返した。

 日本維新の会とれいわ新選組がお互いにやり合ったことについてをどのように見られるだろうか。このやり合いは必ずしも不毛なものだとは言えそうにない。

 ことわざで言う、山椒(さんしょう)は小粒でもぴりりと辛いと言えるところがあるのがれいわ新選組だと言えそうだ。れいわ新選組がやっているように、悪く言われたらやり返せるくらいの力があってほしいものだ。具体として言えば、与党である自由民主党日本維新の会とやり合えてやり返せるようであることがいる。

 いまの日本の国の政治は右傾化しているのがあるので、その右傾化の流れを止めないとならない。そのためには、与党である自民党日本維新の会がおし進めていっている右傾化の流れを止められるような対抗の力がいる。れいわ新選組はその力をしめしたところがある。

 政治には行政の政治(government)と闘争の政治(politics)があるとされ、行政の政治は政策であり、統治や支配だ。闘争の政治は政局だ。これらのうちでいまの日本の国は行政の政治ががたがたになっている。とりあえず与党である自民党に任せておけば何とかなるようではなくなっていて、自民党に任せていれば何とかなった(ように見えていた)時代は終わってしまっている。

 日本の国の行政の政治ががたがたになっているのは、政治で腐敗がいろいろにおきていることにあらわれている。自民党は先の選挙において、日当のお金を支払ってサクラをやとっていたと報じられている。選挙の演説が盛り上がっているかのように見せかけるために日当を支払ってサクラをやとっていたという。買収のうたがいが持たれている。サクラちがいではあるが、自民党の元首相が毎年の桜を見る会で地元の有権者を特別あつかいにしてまねいて買収したうたがいが低くないことがほうふつとされてくる。

 政治にはお金と(言葉による)語りの二つの大きな要素があるとされるが、お金の使い方のおかしさが目だつ。自民党は、お金に頼るやり方でこれまでやって来ていて、語りの力が弱い。お金の分配のしかたのおかしさがあるのとともに、語りもまためちゃめちゃになっていて、うその情報(fake news)を含めたおかしな言説がはびこってしまっている。

 日本維新の会にれいわ新選組がやり返したように、闘争の政治をやって行き、政局をやって行くことがいる。日本の国の政治で右傾化が進んでいっているのを止めるために、闘争を行ない、政局をやって行く。右派に比べて左派は大人なところがあって大人しさがあるから、右派にしてやられてしまいがちだ。やりこめられてしまう。

 右派にあたる自民党日本維新の会と、まともに対抗できるようにして、やり合ったりやり返したりすることがもっとあったらよい。どんどんばしばしいろいろな批判が行なわれたほうがよい。そうでないと、日本の国の政治において、右傾化に歯止めがかからず、悪いことをやったもの勝ちのあり方が改まらない。

 参照文献 『右傾化する日本政治』中野晃一 『政治家を疑え』高瀬淳一 『フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論プロパガンダのしくみ』笹原和俊