日本にとってよくないのが、LGBT 理解増進法なのか―日本にとって悪い法が作られたのか

 悪い法が作られた。日本にとって良くない法なのが、LGBT 理解増進法だ。野党である参政党は、そう言っているという。

 参政党がいうように、日本にとって悪い法が作られたのだろうか。LGBT 理解増進法は、悪法なのだろうか。

 価値によるのが、それが悪法だと見なすことだ。価値は、何々であるべき(ought)のものだ。価値は人それぞれのものであり、いちがいには決められない。ゆいいつ客観に言えるのは、何々である(is)の事実としてそれが法であると言えるのにとどまる。

 その法が、日本にとって悪い。そう言ってしまうと、国と法とをつき合わせることになる。そうではなくて、法と法とをつき合わせるようにしてみたい。法と法とをつき合わせるのは、制度と制度をつき合わせることだ。

 新しく作られたものである LGBT 理解増進法は、制度だ。そのほかに、すでに作られているものである日本の国の憲法がある。この二つはどちらも制度だ。共通点をもつ。

 日本の国とつき合わせて、その法がどうなのかとするのではなくて、いまの日本の憲法からして、その法がどうなのかを見て行く。そういうふうにしたほうが、制度どうしを比較できる。

 いまの日本の憲法は、制度の正義からすると、かなり良いものだ。普遍の性格をもつ。つねに当てはまる性質なのが普遍であることだ。

 特殊さによるのが日本の国だ。固有の性質によっている。普遍によっているわけではないから、日本の国をもち出しても、それが良い法かどうかをはかるものさしとしては使いものになりづらい。

 制度どうしを比較してみると、いまの日本の憲法は普遍によっているが、新しく作られた LGBT 理解増進法はそこまで普遍ではない。きびしく見れば特殊さにおちいっている。LGBT 理解増進法は、日本の国の慣習の性の秩序を温存化させるところがある。

 性の少数者を差別するのは、実践の正義ではない。実践の正義ではないことが、日本ではけっこう行なわれてしまっている。なんで実践の正義ではないことが行なわれてしまうのかといえば、日本の国が特殊なあり方をしているためだろう。固有の性質によってしまっているためである。

 たんに、新しく作られたものである LGBT 理解増進法だけを見ても、それが良い法なのか悪い法なのかがはっきりとは分かりづらいかもしれない。それで、日本の国をもち出すことがなされたり、実践の正義ではないこと(性の少数者を差別すること)が行なわれたりすることになってしまう。

 どういうものがよい制度なのかといえば、その具体の例として、いまの日本の憲法をもち出せる。いまの日本の憲法は、普遍によっているから、よい制度だと言える。制度の正義として見てみると、LGBT 理解増進法は、そこまで良いものではない。

 比べてみると、おなじ制度ではあっても、憲法はすぐれているが、LGBT 理解増進法はそれよりもおとる。(理解の増進も必ずしも悪くはないけど)理解の増進ではなくて、差別を禁じる法にすれば、もっと良い制度を作れた。もっと普遍に近づけられた。

 参照文献 『一三歳からの法学部入門』荘司雅彦 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信ジェンダー / セクシュアリティ 思考のフロンティア』田崎英明 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき)