政治家の個人の考えからおきる差別(の発言)と、(個人を超えた)日本の国からくる差別のしくみ―天皇制のたて並びのあり方の悪さ

 差別に当たることを言っていた政治家が、なぜ地位が上に上がって行ったのだろうか。なぜ、地位が上がり、上の役につくことになったのだろうか。

 与党の自由民主党では、女性や少数者などを差別することを言った政治家が、それなりに上の地位についている。地位が上がっていっているのである。

 差別に当たることを言うのが悪いことであるのなら、地位が上に上がって行くのはおかしいことだ。地位が下に下がって行くか、または政治家をやめさせられるのでないとならない。

 差別をしても、地位が上に上がって行く。地位が引き下げられるのではなくて、引き上げられて行く。なぜそうしたことがおきるのかといえば、その政治家の個人としての考えがおかしいだけではなくて、もっと広く、日本の国に、差別の性格が含まれているのをしめす。

 差別の性格をもつのが日本の国にはあって、たて並びのところがある。たて並びなのは、天皇制からくるものだ。上には男性の階層(class)が置かれて、下には女性の階層が置かれる。

 日本の国をよしとすることで、そこから差別をしてしまうことになる。天皇制からくる差別のあり方を日本はもっているから、差別をなすことがきわめておきやすいのが日本にはある。

 自民党は、日本を代表する政党であり、日本の国のあり方を色濃くもっている。その自民党の中で、差別のことを言った政治家が、上の地位に引き上げられるのは、つじつまが合う。あくまでも自民党の党の中においてはけっしておかしいこととはいえそうにない。

 何を批判するべきなのかといえば、差別のことを言った自民党の政治家の個人を批判するだけではなくて、そこからさらに、日本の国もまた批判するようにしてみたい。

 差別のことを言った自民党の政治家の個人を批判するだけでも、十分によいことであり、するべきことをやっているのがあるけど、それにくわえて、日本の国もまた批判をするようにしてみたい。

 天皇制からおきてしまうことになるのが差別であって、そこを批判してみたい。天皇制では、男性を優の階層にして女性を劣の階層にするのがあるし、標準の多数派の日本人を優の階層にして少数派の辺境者や周縁者を劣の階層にするのがある。

 たて並びをまねくのが天皇制にはあるから、そのたて並びのあり方を改めるようにして行きたい。階層のあり方を変えるようにして、脱構築(deconstruction)をして行く。劣に置かれてしまっている女性や少数派(辺境者、周縁者)を優にするようにして、階層の格差があるのを改めていって、個人としてみんなが平等にあつかわれるようにしたい。

 どういう性であっても、どういう出自であろうとも、個人としてみんなが平等にあつかわれるのがいることが、いまの日本の憲法では言われている。これは日本の天皇性の差別のあり方とはちがうものであり、日本の天皇制からくる差別のあり方を批判するようにして、憲法で言われていることをよしとするようにしたい。

 天皇制から差別がおきてしまうのは、それが特殊なあり方だからだ。差別がおきないようにするためには、憲法の普遍(ふへん)のあり方をとるようにすることがいる。近代の立憲主義憲法であれば、普遍のあり方がのぞめる。

 特殊をよしとすることがおきやすいのが日本にはあるので、差別がおきやすい。普遍となる道徳や倫理を(自分たちの力では)作れないのが日本だ。それを作れずにいまにいたっていて、これからもそれを作れる見こみはほとんどない。特殊さによりやすいのが日本にはあるのが、自民党の政治家にはよく見てとれる。憲法をしっかりと重んじるようにすれば、普遍によることができるから、差別を防ぎやすい。

 参照文献 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『差別と日本人』辛淑玉(しんすご) 野中広務(ひろむ) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『異質との共存 戦後日本の教育・思想・民族論』尹健次(ゆんこぉんちゃ) 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『社会階層 豊かさの中の不平等』原純輔(じゅんすけ) 盛山(せいやま)和夫 『武器としての〈言葉政治〉 不利益分配時代の政治手法』高瀬淳一 『近代天皇論 「神聖」か、「象徴」か』片山杜秀(もりひで) 島薗(しまぞの)進 『縦並び社会 貧富はこうして作られる』毎日新聞社会部