憲法の改正と、日本の国内の政治における帝国主義―強者に有利になっている

 憲法の改正をすることはいるのだろうか。改正をするべきだとする声は少なからずあり、人それぞれによっていろいろな見なし方がとられている。その中で、憲法の改正とは少し話がずれるが、世界においてだけではなくて、日本の国内においても政治において帝国主義がおきているのを見てみたい。

 作家の佐藤優氏は、世界において新しい帝国主義がおきていると言っている。力をもつ者や強い者が、自分たちに都合がよいように法の決まりをつくる。ほんらい、法の決まりは力をもつ者や強い者に有利になるのではなくて、力がない者や弱い者を支えるためにあるのでないとならない。

 世界から目を転じて日本の国の中の政治を見てみると、日本の中で帝国主義がおきているのがある。与党である自由民主党憲法の改正にやっきになっているのは、帝国主義の文脈においてのものだと言える。

 強者により都合がよいようにしたりより有利になるようにしたりすることが行なわれている。その流れの中で自民党によって憲法の改正が行われることは少なからず危険だ。まず何をやるべきなのかといえば、その優先順位(priority)としては、何よりも先に憲法の改正をやるのではなくて、帝国主義になっているのをやめるようにするべきである。

 法の決まりが弱者を支えるようになっているのが、壊される。ないがしろにされる。普遍化することができない差別がおきてしまう。自由主義(liberalism)が損なわれてしまっているのがあるので、それを少しでも立て直して行きたい。

 日本の国の政治において世襲の政治家が多いのは、選挙で勝った強者が法の決まりを決めているからである。勝った政治家は、自分たちが勝ったことの足場となるところを変えるのをちゅうちょする。そこを変えてしまうと、自分たちがよって立っている足場を自分たちで崩してしまうことになる。強者に都合がよい法の決まりのあり方が改まらないで温存されつづけてしまう。

 憲法の改正をさぐって行くのであれば、そのもととなる条件として、日本の国の中で帝国主義にはなっていないことがいる。いまの日本の国の中は帝国主義になってしまっていて、政治の強者や経済の強者がはばをきかせている。経済の財界が政治に介入していて、新自由主義(neoliberalism)が力をもっている。政治の権力と経済の権力の結びつきだ。自己責任社会や分断社会になっていて、弱者に関心が向けられず、救われづらくなっている。

 力をもたない弱者を支えることがいるのが法の決まりだから、その法の決まりのほんらいのあり方を回復させて行きたい。普遍化できない差別がいろいろにおきてしまっているのをなくして行く。憲法の改正をさぐるよりもまず、そのもととなる条件を整えることが先にいり、そのためには強者がより力をもつことができるようになっている帝国主義の加速度のあり方に歯止めをかけるようにして、抑制と均衡(checks and balances)をはたらかせて行く。帝国主義の加速度によるのとは逆の、ゆっくりとした速度による科学のゆとりをもつようにして行きたい。

 参照文献 『法とは何か』渡辺洋三 『国家のエゴ』佐藤優 姜尚中(かんさんじゅん) 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫世襲議員 構造と問題点』稲井田茂 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司