日本の国の防衛の、質と量の正しさ―質の正しさだけが言われている

 ほかの国の基地を攻撃できる力をもつ。日本はその力を持とうとしているけど、それはいることなのだろうか。

 防衛の専門家が、日本の専守防衛のよさを語っていた。いたずらにほかの国を攻撃するつもり(意図)はないことを示す良さがあるという。日本が、やたらにほかの国を攻撃する意図がないことを示せるのである。

 どんどん軍事を強めていって、強兵にして行く。日本はそれをやろうとしているけど、軍事にどんどん税金をつぎこんで行く前に、修辞学でいわれる量と質の二つをしっかりとふまえるようにしたい。

 量と質のあり方(topos)があって、量は多数や持続や大きいものや一般性や保守や慣習(他律)や守旧だ。質は高級や希少や例外や独創や少数派や革新や進歩や新しいことだ。

 政治の政策で、日本は量と質の二つを共にふまえないことが多い。防衛でも、それがおきている。防衛では、量をとらず、質だけをとって、どんどん軍事を強めようとしている。

 何かを政治においてやろうとするさいに、日本では、量と質の二つがあるうちで、質だけをとることがされがちだ。質だけをとるのだと、とにかくこれまでのあり方を変えることが正しいのだとなる。

 質だけをとるあり方は、たとえば憲法だったら、とにかく憲法を改正することだけが正しいのだとするものだ。これまでのあり方を変えることが、すなわち正しいことだとされてしまう。

 量と質の二つの正しさがあるから、その二つを共に見るようにしたい。その二つを共に見るようにすれば、単眼ではなくて複眼にすることがなりたつ。

 これまでのあり方を変えさえすれば、それで正しいことになり、より良いあり方になって行く。そのあり方は、質によるものだ。そこでは量がとり落とされてしまっている。

 質のあり方だと、とにかくこれまでのあり方を変えようとするから、それがさも正しいことであるかのようになる。さも良いことであるかのようになる。そこにまったをかけるようにしたい。量のあり方をもち出すようにして、現状の維持のよさを見てみる。

 これまでのあり方である、現状を維持したほうが、よくはたらく。そうしたことは少なくないものだろう。何でもかんでも、とにかくこれまでのあり方を変えさえすればそれで良くなるのであれば、質によるあり方だけでよいけど、そうではないのが現実だ。

 これまでのあり方を変えずに、現状を維持するのは、量のあり方だけど、それもまた一つの立ち場になる。質によるだけだと、量のあり方を頭から全否定することになってしまう。量の立ち場もきちんと認めるようにしたほうが、それがもつ良さをとり落としづらい。

 防衛における量のあり方は、いまの日本の憲法をしっかりと守って行く。憲法で許される、必要の最小の限度の実力(軍事力)しか持たないようにする。歯止めや抑制を強くかけて行く。専守防衛にてっするようにして行く。日本の国にいる日本人(すべての日本の国内の人々)の、平和の生存権をしっかりと守るようにして行く。

 けっしてほかの国とは戦い合わないようにする、不戦や非戦のちかいを、いまいちど思いおこしたい。憲法の主義である、平和主義や基本的人権尊重主義や国民主権主義をしっかりと重んじるようにしていって、質と量の二つを共にきちんとふまえるようにすることがいる。

 参照文献 『発想のための論理思考術』野内良三(のうちりょうぞう) 『精神論ぬきの保守主義仲正昌樹(なかまさまさき) 『論理が伝わる 世界標準の「議論の技術」 Win-Win へと導く五つの技法』倉島保美 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ』苅谷剛彦(かりやたけひこ)