防衛と、福祉―国の防衛は、(国体を守るものであって)国民を守るものではないから、国民の福祉にはならない

 防衛は、最大の福祉だ。そう言われているのがあった。

 防衛にどんどん税金をかけて行くのは、最大の福祉になるのだろうか。

 防衛が福祉になるのかどうかについては、目的と手段の組みに分けて見てみるようにしたい。目的では、理科系による目的優先法によるようにしてみたい。

 とりあえず防衛についてはさしあたって置いておくとして、福祉だけを見てみると、いまの時代は福祉がなりたちづらい。

 まがりなりにも福祉がなりたっていたのは、まだ世界主義(globalization)がいまほどには進んでいなかったときだ。世界主義がそこまで進んでいなかったときは、一国での福祉がいちおうはできていた。それが可能だった。

 いまでは世界主義がそうとうに進んでいるから、一国での福祉がそもそも不可能になっている。不可能だと言えるくらいになってしまっている。新自由主義(neoliberalism)で、資本主義によって世界が一元化されているのがあるから、それによって国の福祉がなりたちづらくなっているのもある。

 防衛を抜きにして、福祉だけを見てみると、それが成り立ちづらくなっているから、防衛にいくら税金をかけたところで、福祉が豊かになることはおきないものだろう。福祉が貧弱化しているのは改まるものではない。

 なにを目的とするのかがはっきりとしていないところがあるのが、防衛に力を入れて行くことにはある。防衛を強めることが、自己目的化してしまっている。

 理科系の目的優先法によってみると、かりに福祉をより豊かにするのを目的にするのであれば、その手段として防衛に税金をかけるのは的はずれだ。とんちんかんなものだ。有効性がある、適した手段をとるのでなければならない。

 目的として防衛を強めたいのであれば、その手段として軍事に税金をたくさんかけて行くのは、適したものだとは必ずしも言えない。手段としての目的合理性があるとは見なせないところがある。

 国の守りを強めるのを目的にするのだとしても、その足かせとなるようなぜい弱性(vulnerability)や弱みを日本はたくさんかかえている。ぜい弱性や弱みがたくさん日本にはあるのだから、それを放ったらかしにしたままで国の守りを強めようとしてもあまり意味はない。たんに防衛の幻想のようなものにおちいるだけに終わってしまう。

 日本のぜい弱性や弱みとしては、何十個もの原子力発電所があり、そこを相手にねらわれたら日本の国土がぶち壊される。国民に害が多くおきることになる。

 色々なものを外に依存しているのが日本だから、外に依存しているものを断たれたら、日本は国を保てない。石油なんかを手に入れられなくなる。外から色々なものを手に入れないとやって行けないのが日本だから、そこに大きな穴がある。

 自然の災害が多いのが日本であり、ほかの国が日本に攻撃をしかけなくても、大きな地震や火山の大噴火なんかがおきたら日本は国がほろびかねない。地震国であることから、大きな自然の災害がいつおきてもおかしくないのが日本であり、いつ国がほろんでもおかしくはない。

 かりに防衛を強めるのを目的にするのにしても、軍事に税金をどんどんかけることが手段として適しているのだとはいえそうにない。むしろ軍事にかける税金をどんどん少なくしていったほうが、目的にかなう。軍事に税金をかけずに、できるだけお金をかけないですむ手段をとって行く。

 日本の防衛のためには、ほかの国との外交に力を入れて行く。自と他で、国どうしの人の交通をものすごく活発化させて行く。世界じゅうに、日本人にとっての友だちをいっぱいつくって行く。そういったことをやるようにすれば、防衛の目的の理にかなう手段になるのではないだろうか。

 どういった外交をやって行くのかの、価値観のところを、すごく力を入れてさぐって行く。どういう価値観によって外交をやって行くのかを、しっかりとさぐって行って、それによって外交をやって行く。それがいるけど、それができていないのが日本だろう。日本は外交で何の価値観も持っていない。中身がなくて、中身がすかすかで、(人でいえば)頭が空っぽな国なのが日本だ。そんなふうでいて、防衛を強めて、軍事に税金をどんどんかけても、意味があるとはいえそうにない。

 参照文献 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお) 『ラクして成果が上がる理系的仕事術』鎌田浩毅(ひろき) 『時代の抵抗者たち』青木理(おさむ) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし)