自国を守ることと、法を守ること―法をやぶりやすい国としての日本

 日本の国を守って行く。そのために、軍事を強めて、強兵にして行く。

 日本が強兵にして行くとすると、そこにはどういった危なさがあるのだろうか。

 守るべき世界の法(国際法)がある。それをきちんと守っているのは、普遍(ふへん)の国だと見なしたい。

 日本は、普遍であるよりも、特殊な国だ。特殊なのがあるから、ほかの国であるよりも、むしろ日本が国際法をやぶりかねない。

 いま国際法をやぶっているのがロシアであり、ロシアは戦争をやっている。特殊によっているのがロシアだ。悪いあり方だ。

 ロシアと似ているのが日本であり、ロシアのように、守るべき国際法をやぶりかねないところが大きい。

 日本と同じように、ロシアもまた、自国(ロシア)をどのように守って行くのかをさぐる中で、いま戦争をやっているものだろう。

 あんがい見落としてしまいがちなのが、日本こそが、脱法の国であり、無法ものの国になりやすい点だ。きちんと国際法を守って行こうとはしていなくて、それをやぶろうとしているのが日本だ。

 武力を使ってはいけないのだとする、武力の不行使の原則が、国際法にはある。それをしっかりと守って行くようにすることが日本にはいる。国を守るためであれば、武力を使ってもかまわないとしているのが日本だから、国際法をやぶろうとしている。

 集団安全保障のあり方では、どこかの国を、自国にとっての敵だとは見なさないようにすることがいる。敵国だとは見なさないで、敵を作らないようにして行く。もしも敵に当たるのであれば、そこにたいしては武力を使ってもよいのだとはしないようにして行く。

 いくら国際法を自国がちゃんと守ったとしても、それをやぶる国が出てきてしまうのはあるけど、そうかといって、自国が国際法をやぶってしまわないようにしないとならない。あくまでも日本はしっかりと国際法を守るようにしていって、いまの日本の憲法をできるかぎり守って行く。それらをやぶらないようにして行く。

 国をどのように守るかであるよりも、法の決まりをどのように守るかのほうがより重い。国を守るためであれば、法の決まりをやぶってもよいのだとしがちなのが日本だから、そこを防がないとならない。国を守るのであるよりも、法の決まりを守ることに力点を置きたい。

 すごく悪い国があって、その国が、守るべき法の決まりを守らないで、それをやぶってしまう。けしからん。脱法や無法ものの国が世界の中にはあるから、気をつけないとならない。そういう悪い国はどういう国なのかといえば、そういう国こそが日本なのである。日本こそが、国際法をしっかりと守るようにしないとならないし、いまの日本の憲法をできるかぎり守るようにしなければならないだろう。

 法を重んじるところに弱さがあるのが日本であり、そこを改善しないとならない。国を守ることよりも、法の大切さをしっかりととらえるようにすることがいり、国際法やいまの日本の憲法をしっかりと守って行けるようにして行きたい。

 国を守る、つまり法をやぶる、となりがちで、武張(ぶば)ったところがあって、尚武(しょうぶ)によるのが強いのが日本にはある。そこから、どちらかといえば文弱に当たるものである法の決まりを軽んじることになる。法の決まりは形式論の形式に当たるものであり、形式をないがしろにすることが多いのが日本だろう。形式をしっかりと重んじてそこを大切にして行きたいものである。

 参照文献 『「集団的自衛権」批判』松竹伸幸憲法という希望』木村草太(そうた) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)