世界の首脳の広島県の集まりと、だらく―日本のだらくの深まりの深刻さ

 広島県に、世界の首脳があつまった。首脳どうしの会合(summit)がひらかれた。そのことの意味あいをどう見なせるだろうか。

 甘く見れば、歴史として画期となる会合だったと言ったら言いすぎだが、それなりの意味あいはあったかもしれない。核の兵器の悪さを確かめ合う意味あいがあった。

 きびしく見てみられるとすると、だらくをとり上げられる。

 なんで日本の広島県長崎県原子爆弾が落とされたのかといえば、アメリカがだらくしていたからだ。科学にまつわるだらくだ。

 かつては、日本とアメリカは戦争をし合っていて、どちらも国としてだらくしていた。その中で、アメリカは科学においてだらくしていたので、原子爆弾を日本に落とすことになった。その悪をおかした。

 いまとかつての、いまかつて間(かん)の時間の交通で見てみると、いまにおいても、日本とアメリカはだらくしている。日米ともに、科学にまつわるだらくにおちいっている。核の兵器が(いらないのではなくて)いるのだとしてしまっている。

 国どうしがだらくしていることが確かめ合われたのが、広島県で行なわれた首脳どうしの会合だろう。きびしく見ればそう見なすことがなりたつ。

 日本の国の中を見てみると、国の政治では、韓国のカルト(cult)の宗教に乗っとられている。カルトの宗教に日本が動かされているのがあるし、また国の外において、アメリカを上として、アメリカに動かされているのがある。

 どんどんだらくが深まって行っているのが、日本の国の政治だろう。だらくを何とかして改めて行く。そのためには、いまの日本の国の憲法を重んじて行く。軍備の縮小をして、軍備を減らして行って、なくして行く。核の兵器を世界から減らして行って、なくすようにして行くのがいる。

 かつての戦前のときよりも、さらにだらくが深まっているのが、いまの日本だ。かつての戦前のときは、日本は(原子爆弾をもっていなかったから)たまたま科学にまつわるだらくにはおちいっていなかったが、いまはそのだらくにおちいっているのがある。アメリカにたよっているためだ。

 かつての戦前のときよりもだらくが深まっていて、国としてもだらくしているし、科学においてもだらくしているのがいまの日本だから、そこを何とかして改めて行きたい。改めるようにしないと、かつての日本の国の失敗が、まったく反省されていないことになる。かつての日本のあやまちを反省するためには、そのあやまちの数々がくみ入れられている、いまの日本の国の憲法を重んじて行かないとならない。

 参照文献 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『鼎談書評 固い本 やわらかい本』丸谷才一 山崎正和 木村尚三郎 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし)