日本の国を守ることと、日本の国の建設と破壊―借金(建設の国債)をして、日本がこわれる

 借金をして、日本の国の守りを強めて行く。それをすることが決まったが、それはよいことなのだろうか。ふさわしいことなのだろうか。

 防衛にかけるお金を増やすために、借金をすることにしたのが岸田文雄首相の政権だ。

 法の決まりでは、原則として日本の国は借金をするのが禁じられている。原則論としてはそうだけど、例外論としては未来に役に立つ建て物などは借金をしてもよいことになっている。建設の国債は例外に当たる。

 軍備の拡張をして行くのに、建設の国債を使うことにしたのが岸田首相の政権だ。

 軍拡をするのに建設の国債を使うのは、建設ではなくて、その逆の日本の国をこわすことになりかねない。建設ではなくて、破壊になる。

 おなじお金をまかなうのでも、比べてみると、税金のほうがまともだ。借金をするよりも税金のほうがまだまともなのがあり、税金をとるためには、議会で法の決まりを作ることが手つづきとしている。

 税金とはちがって、借金だともっと手軽で楽であり、そのぶんだけ危なさがある。借金をするのは楽ではあるけど、それによってあとあと日本の国をこわすことになりかねない。

 建設ではなくて、破壊になってしまうのが、軍拡のために建設の国債を使うことだ。そう見なしてみたい。建設ではなくて破壊になってしまうのは、日本の国がこわれてしまうのと、それと日本の国の財政がこわれてしまうのとがありそうだ。

 国の破壊と、財政の破壊につながりかねないのが、軍拡のために借金をすることだろう。すでに日本の国の財政はそうとうにおかしくなっていて、借金だらけになっている。そのうえに、火に油を注ぐことになるのが、軍拡のために借金をすることだろう。

 楽なほうへ、楽なほうへと行ってしまうのが、(法の決まりを作って)税金をとるのではなくて、借金をして行くことだ。建設ではなくて、国や財政をこわすことになってしまう。

 だらくしていっているのがあるので、それによって、建設ではなくてこわす動きをとることになっているのがある。日本の国の政治は退廃(decadence)がおきていて、だらくしていっている。

 戦前の日本の国も、だらくしていって戦争で負けて国がほろぶところまで行った。戦後のいまにおいても、戦前のときと同じように、いま日本の政治はだらくがどんどん深まっていっている。きびしく見てみればそう見なせそうだ。

 だらくしていっているのを少しでも止めるためには、せめて、軍拡のために借金をするのをやめることがいる。軍備を縮小して行くようにして、軍縮するようにすれば、だらくが少しは改まる。軍縮するのではなくて、軍拡をしていってしまうと、だらくが深まって行くばかりだろう。

 参照文献 『いやでもわかる金融』日本経済新聞社編 『国債暴落』高田創 住友謙一 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)