日本がやられるのと、やれる(can)のと、やらないようにするべき(should、ought)こと―やらない意思(will)を持つのでないと、まっとうではない

 やられたら、やり返す。うたれたら、うち返す。そうすることが、日本の国を守ることにつながるのだろうか。

 ばあい分けをして見てみたい。ばあい分けをしてみると、日本とほかの国が、どちらもやり合わない。どちらもやり合う。どちらかだけがやって、もう一方はやり返さないでやられる一方なのがある。

 武器では銃があるけど、アメリカの銃社会の発想だったら、ばあい分けをしてみたさいの、どちらもやり合うものに当たる。日本のような銃社会ではない社会だったら、どちらもやり合わないのに当たる。

 まっとう(decent)なあり方はどういうものなのかといえば、アメリカのような銃社会のあり方だとはいえそうにない。日本のような銃社会ではない社会のあり方がまっとうなあり方だろう。

 お互いにやり合えるようなアメリカの銃社会のあり方はまっとうではないけど、それとともに、どちらか一方だけがやれて、もう一方はやり返さないでやられるだけなのもまたまっとうだとは言いがたい。

 日本は憲法の決まりで、自国がやれる立ち場に立つことができないことになっている。それだと日本を守ることができないといったことで、その立ち場を変えようとしているのだ。自国がやれる立ち場にたとうとしているのである。

 自国がやれる立ち場に立てるようになれば、日本は自国をより守れるようになるのかといえば、必ずしもそうとは言い切れそうにない。やれる立ち場に立てるのだとしても、アメリカの銃社会のようになるから、安全が高まるとはいえそうにない。アメリカの銃社会はぶっそうなあり方であり、日本のような銃社会ではない社会のほうがより安全だろう。日本のほうがより治安はよい。

 憲法では、日本はやれない立ち場に立つことが定められているけど、そうではなくて、仮定として、日本がやれる立ち場に立っているのだとする。そうしてみると、日本がやれる立ち場であるとして、やれない立ち場の国を、日本はやるのだろうか。

 やれる立ち場の国は強い国であり、やれない立ち場の国は弱い国だ。日本がやれる立ち場の強い国であるとして、やれない立ち場の弱い国を、やるのかといえば、もしも日本がまっとうな国であればやらないだろう。自国がやれる立ち場にあったとしても、やれない立ち場の国(他国)を、やるのではないのが、まっとうなあり方だ。

 文化の力(soft power)の点からすると、どういうあり方がまっとうなのかといえば、そもそもやれない立ち場であるか、またはやれる立ち場であったとしてもやらないあり方だ。

 立ち場を入れ替えてみて、日本がやれる立ち場で、ほかの国がやれない立ち場だったとして、日本がまっとうであればほかの国をやることはないのだから、日本がまっとうでありさえすればそれでよいのである。日本がまっとうでありつづければよくて、まっとうではなくなったら日本が悪い国に転落するだけだ。

 物理の力(hard power)からすると、日本は憲法においてはやれない国だけど、そのいっぽうでやれる力をもつ。憲法では、必要の最小の限度の実力をもつことしか許されていないけど、そのいっぽうで、日本の国は無力そのものなのではなくて、あるていどより以上の実力をもっているから、やれる力を持ってはいる。

 やれる力を持っていないと、国は人々を支配することができない。何をうしろだてにして国は人々を支配するのかといえば、最終には暴力の力だ。その地域の暴力を独占しているのが国であり、軍隊や警察などの抑圧の装置をもつ。

 日本が力をもっていなくて、やられる立ち場の国なのは、憲法としてはそう言えるけど、そのいっぽうでやる力をもつ。やる力を持っていないと、国の中で人々を支配することができないから、日本は抑圧の装置をもっている。やる力を持つ日本の国の権力が、上からの支配をどんどん強めていることこそが、危ないことなのがある。

 日本の国が、すでにやる力を持っていて、それが国の中で、権力の支配の力になっているから、そこにもっと目を向けるようにしたい。日本の国がすでにもっているやる力は、国の公だけど、それがどんどん肥大化していっている。国の公を肥大化させていっているのがあり、軍備の拡張をしていっている。国の公の肥大化によって、個人の私が押しつぶされてしまう。個人の私が(守られるのではなくて)やられてしまうのである。

 参照文献 『日本国民のための愛国の教科書』将基面貴巳(しょうぎめんたかし) 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『公私 一語の辞典』溝口雄三現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『東大人気教授が教える 思考体力を鍛える』西成活裕(にしなりかつひろ) 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし)