日本の、危険性への傾斜―危険なほうへの移行

 いまの日本には、どういった危険性(risk)がおきているのだろうか。

 日本の外に危険性があるのか、それとも内に危険性があるのだろうか。

 内にある危険性としては、日本では危険性への移行(risky shift)がおきている。

 かつてをふり返ってみると、かつての日本では、危険性への移行がおきていた。それで、戦争に向かってつっ走って行き、敗戦にいたった。

 かつての日本では、戦争とともに、国の財政でも危険性への移行がおきていた。財政で、借金をすることはまったく何のまずさもないのだとしていた。それでどんどん借金をして、それで得たお金を戦争につぎこんだ。敗戦になって、日本のお金は紙くずになった。

 日本の財政の法の決まりでは、なぜ借金が禁じられているのかがある。原則論としては国が借金をすることが禁じられている。かつての戦前に、日本は危険性への移行になって、借金がかさんでいった。それで戦争に敗戦して、お金が紙くずになった。その歴史の失敗から来ているものだろう。

 戦争と財政では、戦争につき進んでいったり、借金をしまくったりすることをよしとする理論が、かつての日本ではとられていた。それらをよしとする理論が、いまにおいてぶり返してきている。ふたたびその理論が持ち出されてきている。

 戦争に敗戦して、財政がはたんしてお金が紙くずになったのがかつての日本であり、そのさいにとられていた理論があった。その理論は、危険性への移行をうながしてしまうものである。

 かつての日本の歴史をふり返ってみると、危険性への移行をうながす理論がとられていたことがわかるので、同じ失敗をもう一度くり返さないようにしたい。そのためには、危険性への移行をうながす理論をとるのではなくて、それに批判を投げかけて行く。

 日本の外に危険性がおきているから、借金をしてでも軍事の力を高めて行く。借金をしてでも、日本の経済をよくして行く。それをやってしまうと、危険性への移行をうながす理論をとることになる。かつての日本が失敗にいたったときと同じ理論をとることになる。

 いまの状況を見てみると、日本の外にまったく何の危険性もないとはいえそうにない。日本の経済をよくして行くことがまったくいらないとはいえそうにない。日本の国の外にある(とされる)危険性に対応していったり、日本の経済をよくしていったり、または日本の国の内で困っている人たちを助けたりすることはいることだろう。

 いまだけを見るのではなくて、かつての日本を見てみると、ちょうどいまと同じような問題を抱えていた。かつての日本は、問題にたいしてどういう理論を持ち出したのかといえば、危険性への移行をうながす理論をとった。それで敗戦にいたり、財政がはたんしてお金が紙くずになったのである。

 日本では、問題がおきていて、せっぱつまっていると、危険性への移行をうながす理論をとりやすい。それで国が悪い方向に向かってつっ走って行く。かつての日本の歴史を見てみるとそれがわかる。

 いまの日本も、かつてと同じように、問題がおきていて、せっぱ詰まっているから、危険性への移行をうながす理論をとろうとしている。問題がおきているさいには、何らかの理論を持ち出して、それを片づけることがいるけど、その理論がまちがったものであるおそれがある。かつての日本は、まちがった理論を持ち出して、国がだめになった。いまの日本も、まちがった理論を持ち出しているおそれが低くない。

 理論をもち出して、問題を片づけようとしたけど、その理論が反証されてしまった。それがかつての日本である。敗戦にいたり、財政がはたんしてお金が紙くずになった。いまの日本でも、問題を何とかするために、理論がもち出されているけど、それが反証される見こみが低くない。かつての日本で、反証されてしまった理論を、もう一回もち出してしまっているから、もう一回(前回と同じように)反証されることになりそうだ。

 参照文献 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『国債・非常事態宣言 「三年以内の暴落」へのカウントダウン』松田千恵子 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『歴史という教養』片山杜秀(もりひで)