消費税や国の借金の存在論―それらはあると言えるのか、無いと言えるのか

 消費税を下げることはいるのだろうか。国の財政で借金を返して行くことはいるのだろうか。そのさいに、消費税の税率や、国の財政の借金の総額は、数によってなりたっている。

 数とは何かといえば、それはよくわからないものだとされる。数とは何なのかを、客観に正確に説明しづらいのがあり、定義づけができづらい。

 数そのものには大きな意味はなく、そのあとにつく単位が何なのかが大切だ。お金であれば、何々円の円のところだ。時間であれば、何々時間や何々分の時間や分のところだ。単位をともなった数字が、いったいどのような意味を持っているのかがあり、数字がもっている意味を探ることがいる。数字は、数字と意味でなりたっているものだという。

 よくわからないものであるのが数だが、それと同じようなものとして時間やお金(貨幣)や言葉があげられる。

 哲学者のウィトゲンシュタイン氏は、言葉は使われることによってなりたつものだとしている。言語ゲームの理論である。人々に使われることによって言葉はなりたっている。人々に使われることでしか言葉はなりたたず、人々のあいだ(人と人とのあいだ)にあるものが言葉だと言えるだろう。

 お金(貨幣)がなぜなりたっているのかでは、貨幣商品説と貨幣法制説があるという。商品説は貨幣が商品として価値をもつ。自然による。法制説は法の決まりなどによって貨幣を定めるものであり人為だ。いずれにしても貨幣は自己循環論法によるものであり、それがそれである絶対の根拠をもたない。

 時間については、ふつうであれば過去、現在、未来と流れているものだと見なされているが、これは時間を線の上に空間化してとらえたものだ。時間そのものをとらえることはできづらい。時間をとらえるさいには、線によって空間化したり、空間に残されたしるしによってとらえたりすることになる。顔に刻まれたしわの数によって、時間が経ったことを知る。空間に残されたしるしを手がかりにして時間をとらえているのである。

 時間そのものではなくて、空間化した表象としてとらえているのが時間であり、それと同じようなことが数にも言えそうだ。数そのものはよくわからないものであり、それそのものをとらえることはできづらい。数によってものごとを分節してとらえることができるけど、分節化されるまえのものはすべてがつながり合ったありようをしている。

 分節化して知としてとらえるのが数であり、分節化される前のあり方では、混沌としたあり方になっている。混沌としたのっぺらぼうなところに、目や鼻をつけることによってものごとがとらえやすくなる。

 目や鼻をつけるいぜんののっぺらぼうなものがより根源で根本なものだと言えるとすると、数によってあらわされる消費税や国の財政の借金は、無いものだとも言えそうだ。根源や根本からすると、数であらわされる消費税や国の財政の借金は無いと言えるが、そのようにとらえてしまうと、必要なものまで無いことになってしまうから、危険なとらえ方だ。

 数であらわされる消費税や国の借金が無いとするのは、いうなれば、敵が必要なのにもかかわらずそれが無いことになるから、悪いものや敵がいなければ良いものもまたないことになり、何がまちがったことで何が正しいことなのかがわからなくなってくる。数であらわされる消費税や国の借金を改めて見てみると、そこには少なからず謎をはらんでいると言える。数とはいったい何なのかのところに謎がある。

 ある民族は、数を数えるのに、ひと桁までと、それ以外(それ以上)に分けてとらえるという。ひと桁までの数は一、二、三、四、五と数えるが、ひと桁を超えるものはたくさんの数としてまとめてとらえて、一くくりのものだと見なす。十一、十二、一三とは数えて行かず、それらをいっしょくたにして、ぜんぶについてを総合してたくさんの数だとする。それを当てはめてみると、国の財政はたくさんの数をあつかうものだから、抽象性が高い。虚構のところがおきてくる。想像の力がおよばないところがある。

 国の財政の話とはずれてしまうが、一人の個人がじっさいにとらえられる集団の数は平均で一五〇人くらいまでが限界だという。人類学者のロビン・ダンバー氏による説であることからダンバー数と言われる。それ以上の人数になると、具体の人どうしの関係としてはとらえづらい。一五〇人くらいより以上の数の大きな集団になると、それぞれの人を具体の個人としてはとらえづらくなるから、飛躍がおきることになる。観念の産物にすぎなくなり、たしかにその大きな集団が現実にあるのだとは言い切りづらい。実用主義(pragmatism)の点からするとそう言える。

 参照文献 『数学的思考の技術 不確実な世界を見通すヒント』小島寛之(ひろゆき) 『資本主義から市民主義へ』岩井克人(かつひと) 聞き手 三浦雅士 『食い逃げされてもバイトは雇うな 上・下』山田真哉(しんや)