消費税と、構築主義―社会の問題の一つとして見てみる

 消費税についてを、構築主義(constructionism)の点から見てみられるとするとどういったことが言えるだろうか。

 構築主義では、三つの点をとり上げてみたい。社会の問題と、その体系性(system)と、その状態だ。

 たった一つしか社会の問題があるだけではない。いくつもある。それらのすべてを体系としてとらえられる。範ちゅうや集合だ。量である。

 状態では、大きくは三つある。初期と中間と目標(の達成)だ。中間はさらに細かく分けられる。初期から目標まで、いくつもの細かい段階を経て行く。

 消費税は社会の問題の一つだから、体系として見てみると、全体の集合のうちの一つだ。消費税だけではなくて、そのほかにもいっぱいいろいろな社会の問題があることがわかる。集合の中には、たとえば、憲法の改正(または護憲)や、男性と女性の階層の格差などがある。

 日本はとんでもなくすばらしい天国のような理想の国だとしている愛国者(日本に少しの文句もない人)にとってみれば、日本には社会の問題は一つもない。いまが目標の状態となっている。

 日本にはいっぱいいろいろな悪いところがあるのだとしている、日本にたいしてきびしい人にとっては、日本にはいろいろな社会の問題があることになる。集合の中に含まれる量がとても多い。

 集合がゼロなのから、たくさんの数があるのまで、幅がある。社会の問題は、客観のものではないためだ。主観によっている。それぞれの人が持つ集合が、部分的に重なり合うところもあれば、ずれるところもある。それぞれの人にはそれぞれの個性があるから、ぴったりと集合が重なり合うことはあまりないものだろう。

 集合を、かりに袋だとすれば、その袋の中に何も入っていない人もいれば、いくつものものが入っている人もいる。袋の中にいろいろなものが入っていても、それぞれの人で中身がちがう。人どうしで袋の中身が部分的に重なり合うこともあれば、ずれているものもある。

 少なからぬ人たちが悪いことだとしているのが消費税であり、それを減税したりゼロにしたりすることがいるのだとしている。そのさいに、初期の状態はいまの税率の一〇%だ。それを数%にしたりゼロ%にしたりできれば目標の状態にいたったことになる。

 構築主義から見てみれば、人為や人工の構築性をもつのが消費税だから、不変ではない。可変性がある。可変性があるのであれば、いまの初期の状態である一〇%のままで絶対に固定化されているわけではない。税率を減らしたりゼロにしたりして、目標の状態にいたれる見こみがある。

 可変性はあるにはあるけど、目標の状態にいたろうとすると、それが遠くに遠ざかって行ってしまう。いまのありようが固定化されてしまう。既成事実が重みをもつ。そういったことがある。消費税も、そのおそれがなくはない。

 目標の状態が遠ざかってしまうのは、ものごとを変えようとすると、かえって逆に変わらなくなってしまい、固定化されてしまうことがあるからだ。目標の状態にすいすいと進んで行けるのではなくて、その歩みがすごく遅くなり、止まってしまう。

 どうして目標の状態が遠ざかってしまうのかといえば、目標の状態にどうしてもいたろうと強く意思すると、そのことで初期の状態が強く意識されることになる。初期の状態への意識が強まり、それが固定化されたようになる。

 客観に、いまの日本の国のあり方が初期の状態としてあって、それをあるべき目標の状態にもって行く。民主主義によってそれができるのかといえば、なかなかできづらい。民主主義は大衆迎合主義(populism)になりやすい。日本の国が、客観として悪い方向へ向かってしまい、駄目になることがおきてしまう。

 そうとうにうまく民主主義が機能して、そうとうに国民がかしこくないと、日本が客観としてあるべき目標の状態にいたることはできづらいものだろう。じっさいの日本はどうかといえば、民主主義が機能の不全をおこしているし、国民がすごくかしこいとも言えそうにない。きびしく見ればかなりおろかだ。かしこい人は少ない。または(自分を含めて)みんなが多かれ少なかればかである。

 一人ひとりとしてはともかくとして、集団になってしまうとばかになる。おろかになる。いま戦争をやっているロシアなんかにはそれが見て取れる。ロシアだけではなくて、どこの国でもそうなりやすい。集団の浅慮におちいってしまう。集団の思考(groupthink)になってしまう。

 社会の問題を片づけようとすると、みんながそれに協調(協力)するとはかぎらず、非協調がおきてしまう。協調への動機づけ(motivation)や誘引(incentive)が、人によっておきたりおきなかったりする。そこがむずかしいところだろう。たとえ非協調だからといって、まちがっているとはかぎらない。みんなが協調してしまうと、それはそれで良くないことがある。みんなが戦争をやることに協調している(させられている)のがいまのロシアである。

 参照文献 『社会問題の社会学赤川学社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで』山岸俊男社会学になにができるか』奥村隆編 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『創造力をみがくヒント』伊藤進