来年の日本は、新しい戦前になるのか―戦前と、日本のだらくや退廃(decadence)

 新しい戦前になる。来年はそうなるだろうと、テレビ番組で芸能人のタモリ氏は言ったという。

 タモリ氏がいうように、来年は新しい戦前になるのだろうか。

 交通で、時間における、いまとかつてのいまかつて間によって見てみると、戦前はかつてだ。そのかつてが、いまにおいて再びくり返される。かつてが回帰する。

 かつてのあり方が、いまにおいて再びおきるのは、双方向の双交通だ。

 かつてのあり方が、それから先にはもう二度と再びくり返されることがないのは、一方向の単交通だ。単交通のあり方では、(どんどんあり方がより良くなって行くのだとする)進歩史観などがある。進歩史観は上昇史観だ。どんどん悪くなって行くのだとする下降史観もある。

 日本の戦前はどうだったのかといえば、いろいろに見られるのはあるけど、その中で、すごいだらくしていたのがある。日本は国としてすごいだらくしていて、それで国が戦争につっ走っていって、国がはめつするところまで行った。

 新しい戦前になるのは、戦前つまりだらくであり、日本の国がだらくすることだ。そう見なしてみたい。

 あたらしいだらくであるよりも、古いだらくをやってしまっているのが、いまの日本だ。古くからあるだらくをやっていたのが日本の戦前だけど、いまの日本もまた、古くからあるだらくをやっているのである。

 古くからのだらくには、日本に古くからある信仰の御霊(ごりょう)信仰や互酬性(ごしゅうせい)などがある。

 御霊信仰は、死者や生きている人のごきげんをとって行く。そうすることで、不幸なかたちで亡くなった死者が、よい霊に転じることになる。よいことをもたらす霊に変わる。死者だけではなくて、生きている人のごきげんをとるのもあって、ごまをすることが行なわれる。

 互酬性は、お互いに利益のやり取りをやって行く。お互いのあいだの利益の交通だ。利益のやり取りをし合うあいだがらになって、ゆ着がおきて、複合体や体系(system)が形づくられる。

 日本の政治は右傾化していっているのがあり、日本の国をよしとするのが強まっている。戦前は、日本の国をよしとするのが強かったけど、いまにおいてもそれがおきているのがあり、同じまちがいをくり返している。

 いまかつて間では、かつての日本のだらくが、いまにおいて改善されて無くなっているのであればよいけど、そうはなっていない。かつての日本のだらくが、そのままいまにおいても残りつづけているのがあって、いまにも引きつがれているのである。

 かつての日本のだらくを改善するためには、歴史をすごく重んじないとならないけど、日本は歴史修正主義をやっているから、だらくが残りつづけている。古いだらくがいまにおいて残りつづけているから、タモリ氏がいうように、新しい戦前になる(なっている)ことになる。

 古いだらくを少しでも改善するためには、歴史修正主義を止めるようにしないとならない。日本の負の歴史をしっかりととり上げるようにして、いまとかつてのいまかつて間の交通をしっかりと重んじて行く。歴史の、いまかつて間の交通をしっかりととり上げるようにして、かつてを忘却しないで想起して行く。かつての負の歴史をしっかりと見て行くようにすることが、新しい戦前にしないためにいることだろう。

 参照文献 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『丸谷才一 追悼総特集 KAWADE 夢ムック』河出書房 『右傾化する日本政治』中野晃一 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉