カルトの集団と、日本―カルトだった戦前の日本と、戦前と戦後の連続性

 高額なつぼをだまして信者に売りつける。そこから、韓国のカルト(cult)の宗教は、つぼだと言われているのがある。

 つぼとゆ着しているのが、与党である自由民主党(など)だ。自民党はなぜつぼとしっかりと手を切ろうとしないのだろうか。

 戦前の日本は、つぼだった。つぼだった国なのが日本だ。神の国だったのがあり、教祖は天皇だったのである。天皇は神であり、人ではないのだとされていた。

 日本がつぼでなくなったのは、いまの日本の憲法が作られたことによる。

 日本の国が、つぼではなくなったのではない。日本は戦前からいぜんとしてつぼでありつづけている。戦後のいまでもつぼでありつづけているのが日本だ。

 つぼではなくなったのは、あくまでも憲法がそうなったのにすぎない。

 戦前の日本は、国がつぼだったのがあり、それによって大きな失敗をおかした。その失敗が刻印されているのがいまの日本の憲法だ。国がつぼだったことによる失敗の歴史が憲法に記されているのである。

 なんで自民党憲法を改正しようとしているのかといえば、それは日本の国がつぼだからだ。憲法を改正して、また戦前のありようにもどそうとしている。国がつぼだったことによる失敗が記されている憲法は、自民党にとってはじゃまなものにすぎないのである。

 韓国のカルトの宗教はつぼだけど、日本もまたつぼだ。つぼどうしであることになる。同じ羽の鳥が、群れを作っているのである(Birds of a feather flock together.)。

 ちがう羽の鳥なのではなくて、同じ羽の鳥なのが、韓国のカルトの宗教と自民党だろう。だからゆ着し合っている。自民党は韓国のカルトの宗教と手を切ろうとしない。日本の国はつぼだから、韓国のカルトの宗教と、同じ羽の鳥に当たる。いまの日本の憲法は、韓国のカルトの宗教とはちがう羽の鳥だ。

 参照文献 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『近代天皇論 「神聖」か、「象徴」か』片山杜秀(もりひで) 島薗(しまぞの)進 『日本が「神の国」だった時代 国民学校の教科書をよむ』入江曜子 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし)