政治と宗教の結びつきで、宗教のもつ力(影響力)や、危なさのていど―どれくらいの力があり、どれくらい危ないものなのか

 韓国の新宗教は、それほど大したことがないものなのだろうか。そんなに危なくはないものなのだろうか。

 日本の政党と結びついている韓国の新宗教(旧統一教会)は、はたしてどれくらいの力を持っているのだろうか。

 新宗教がどれくらいの力をもち、どれくらい危ないものなのかは、参照点(視点の置きどころ)を動かして見ることができる。参照点を下に引き下げれば、それほど大した力を持たず、そこまで危なくはないものだとなる。上に引き上げてみれば、けっこう力を持っていて、危ないものだと見なせる。

 カルト(cult)宗教に見られる危なさでは、大義をかかげることをとり上げられる。大きな義をかかげて、そこへ向かって進んで行こうとする。

 戦前の日本は、国の全体がカルト宗教のようなものだった。国の全体がオウム真理教のようなものだったのである。

 宗教によって、日本を神さまの国にすることが目ざされているけど、戦前の日本はまさにそうだったのである。戦前の日本は、神の国だとされていた。生きている神さまだとされていたのが天皇だった。

 大義をかかげるのがカルト宗教だけど、それと同じように、与党の自由民主党もまたそれをかかげている。自民党は、カルト宗教に染まっているのである。

 自民党がかかげる大義としては、憲法の改正がある。それと日本の軍事化があり、強兵を目ざしている。性では、男性が優で女性が劣のあり方にしようとしている(それを強めようとしている)。

 おなじ大義をかかげ合うものどうしで結びつき合っているのが、自民党と韓国の新宗教だ。どちらも、同じような中身の教義をもつ。

 大きな正義をかかげることによって危なさがおきてくるのがカルト宗教にはあり、それは自民党にも当てはまる。大きな正義のためであれば、不正をすることもやむをえないとなり、いろいろな不正が行なわれてしまいやすい。

 まず基本としては、不正をしないようにして、法の決まりを守って行く。その基本のところをすっ飛ばしてしまっているのが自民党だろう。なぜ基本をすっ飛ばすのかといえば、大きな正義や大義をかかげているためである。

 いろいろな不正がこれまでの自民党の政治によって行なわれてきたが、それは基本をないがしろにしていることから来ている。基本である、遵法(compliance)のあり方ができていないのである。

 日本を良しとする、たった一つの考え方しか良しとされなかったのが戦前の日本だ。日本を批判することが許されず、いろいろな考え方があることが否定された。かくあるの実在(sein)のところには、人それぞれで色々な考え方があったけど、日本の国の全体がカルト宗教化していたので、かくあるべきの当為(sollen)しか許されなかった。

 韓国の新宗教がどれくらい危ないものであるのかよりも、むしろ日本の国がカルト宗教化しているところに危なさがある。自民党が、宗教に染まっているのがあり、かくあるの実在を否定して、かくあるべきの当為によってしまっている。大きな正義や大義をかかげるあり方だ。

 宗教によって、当為のあり方がとられて、大義がかかげられるのだとしても、それによっていったい日本の国はどうなるのか。その点が抜け落ちている。戦前の日本は、当為によっていて、大義をかかげていたけど、国がほろんだ。戦争に負けて、大きな害や損がおきた。

 大義をかかげることで、それがかえって悪くはたらく。よかれと思ってかかげるものなのが大義だけど、それがかえってわざわいする。戦前の日本はそうだったのがあり、それを反省するとすれば、大きな正義や大義をかかげるさいに、そこに危なさを見て取ることがいる。そこに、カルト宗教のもつ危なさを見てとれる。

 大義をかかげて、それによって日本が悪くなって行きそうなのが、いまの日本だろう。そのさいに、かかげられている大義によって、それでどうなるのかを問いかけることがいる。それでどうなるのかや、だから何なのだ(so what?)、と問いかけて行く。

 日本を神の国にしたり、憲法の改正をしたり、軍事化したりするのにたいして、だから何なのだ、と問いかけてみる。戦前の日本をふり返ってみると、それら(神の国や、軍事化)をやったことで、日本の国がまちがった方向に暴走していったことが思いおこされる。

 戦前の日本は、カルト宗教化していたので、かかげていた大義が、(それこそが)まさにやるべきことなのだとさっかくをしたことで、国がまちがいをおかした。大義について、だから何なのだ、と問いかけることがなされなかったのである。大義が自明のものだとされて、疑われなかったけど、そこには人為や人工の構築性があるから、それを大いに疑わないとならない。

 参照文献 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『論理的な思考法を身につける本 議論に負けない、騙されない!』伊藤芳朗(よしろう) 『日本が「神の国」だった時代 国民学校の教科書をよむ』入江曜子 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『構築主義とは何か』上野千鶴子