政党と宗教との交通―政と宗との関係やゆ着

 政党と、韓国の新宗教(旧統一教会)が関係し合う。その悪さとはいったい何なのだろうか。

 与党である自由民主党と、韓国の新宗教とが関係し合っていた。

 自民党は、日本の国を支配している。自民党つまり国と言えるところがある。

 自民党と、韓国の新宗教が関係し合うと、国が新宗教にお墨つきを与えることになる。

 国がお墨つきを与えるものとして、国債がある。日本の国債は、国がうしろだてになることで、かろうじて通用している。これから先も、まちがいなく国債が通用することの保証はない。いつ破綻してもおかしくはない。日本の国の財政は、借金だらけだからである。

 国債のように、国がうしろについているのだから、その新宗教は良いものなのだとなってしまう。(高額なツボを信者に売りつけるなどの)悪いことを色々とやっているのが新宗教だとすると、そのカルト(cult)の新宗教に、国がお墨つきを与えるのはまずい。

 自民党の政治家は、新宗教が出している雑誌の表紙を何回もかざっていたという。殺された安倍晋三元首相も、雑誌の表紙を何回かかざっていた。国が、新宗教を、良しとして、認めるようなことになっていた。

 国債でいえば、良い質の国債ではなくて、すごい悪い質の国債を、日本の国があと押しをしていたことになる。悪い質の国債をつかまされて、害や損を受けた人が少なからずいる。被害者は、自己責任だとしているのが、日本の国だろう。

 新宗教による被害がおきるのをうながしてしまっているのが自民党である。悪い質の国債なのに、それを(良いものだから)買え買えと言っているようなものなのが、自民党である。

 政治と宗教である、政と宗とのあいだにゆ着がおきる。ことわざでいう、水心あれば魚心(You scratch my back and I'll scratch yours.)のあり方だ。互酬(ごしゅう)性である。

 互酬性では、利益の交通が行なわれる。利益を与えるのは、一方向の単交通だ。利益を与えられるのは、何々されるの受動であり、逆向きの単交通だ。利益を与えられたら、こんどは利益を与え返す。それでつり合いがとれることになる。

 政と宗とのあいだで互酬性がおきると、悪い宗教(新宗教)が悪いことをやりやすくなりかねない。報道がそれをきちんと監視していないとならないけど、日本では、政と報のあいだに互酬性があるから、報道が監視をきちんとやっていない。

 政と宗と報が、互酬性のあいだがらになっていて、そのどれもが、国家の観念(ideology)の装置に当たる。宗である、韓国の新宗教は、国家の観念の装置である家族や結婚を絶対とする教義(dogma、assumption)をもつ。家族を絶対とするのは、国家の観念の装置を強めるので、自民党にとって利益になる。

 火に油を注ぐので言うと、自民党は、韓国の新宗教に油を注いだ。韓国の新宗教は、自民党に油を注いだ。日本の報道機関もまた、自民党や韓国の新宗教に油を注ぐ形になった。おたがいに油を注ぎ合うような互酬性になっていた。国家の観念の装置が、どんどん強まって行き、なおかつ、軍事つまり国家の装置(国家の抑圧装置)をも強めて行く動きが強まっている。

 参照文献 『国債・非常事態宣言 「三年以内の暴落」へのカウントダウン』松田千恵子 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『共謀者たち 政治家と新聞記者を繋(つな)ぐ暗黒回廊(かいろう)』河野太郎 牧野洋(よう) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編