国や宗教の、犠牲と保存―かつてやいまにおいて、犠牲者が多く生まれたことの、深刻さや重み

 韓国の新宗教(新興宗教)は、カルト(cult)の宗教なのだろうか。

 一つの体系(system)として、韓国の新宗教を見てみると、そこで生み出された犠牲がある。それと、その体系の保存(存続)がある。犠牲と保存だ。

 安倍晋三元首相を殺した犯人は、韓国の新宗教をにくんでいた。犯人の母親が、韓国の新宗教を信じていて、多額のお金を支払わされたのだという。それで犯人の家族がこわれた。

 新宗教の集団が、人をだますことによって、多くのお金を得る。信者をだまして、お金をだまし取る。だまされた人は犠牲者であり、たくさんの犠牲が生まれることになる。

 その集団がたくさんの犠牲を生んだのであれば、その集団の保存(存続)は当たり前のものではなくなる。これまでに多くの犠牲を生んできたのであるのなら、犠牲を生んでまで、これから先もその集団が保存されるべきなのかには、疑問符が付けられなければならない。

 いまの日本では、自由主義(liberalism)がこわれてしまっているから、専制がおきている。国においては、全体主義がおきている。国の政治には、韓国の新宗教が入りこんでいる。与党である自由民主党と、韓国の新宗教がゆ着している。

 人をだますような悪い新宗教であれば、その集団は専制になっていて、悪い共同体主義になっている。新宗教の外に出られなくなってしまう。新宗教に、心脳が操作されてしまう。

 日本の国によるだましと、韓国の新宗教によるだましがある。国においては、全体主義になっていて、新宗教では、悪い共同体主義になる。どちらも、専制のあり方になっている。

 日本の国と、韓国の新宗教が、ぐるになって、個人の心脳を操作している。新宗教に、心脳が操作されてしまえば、だまされてしまい、お金をだまし取られる。新宗教の教義(dogma、assumption)を信じこまされてしまう。

 いまの日本の国は、韓国の新宗教のようには、国民のお金をだまし取っているとはいえそうにない。国は、新宗教ほどには、人をだましてお金を取っているのではないけど、自民党と韓国の新宗教はゆ着し合い、ぐるになっているのは否定できない。

 国も、新宗教も、どちらもが、集団としては、犠牲と保存において、保存が当たり前のものとは見なせない。保存されない、つまり集団が解散されることもくみ入れるべきである。少なからぬ犠牲を生んできたのだとすれば、何が何でも保存されるべきだとはいえそうにない。

 集団が専制になるのを避けるためには、個人の心脳を操作するのをやめないとならない。国も、新宗教も、個人の心脳を操作しているのがあり、全体主義や悪い共同体主義がおきている。資本主義も悪くなっていて、新自由主義(neoliberalism)が強まっていて、階層(class)の格差が放ったらかしにされている。あちこちで専制がおきていて、心脳が操作されているから、それらを改めるようにしたい。自由主義を立て直すことがいる。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『心脳コントロール社会』小森陽一 『個人を幸福にしない日本の組織』太田肇(はじめ)