敵の基地や中枢を攻撃する力を日本はもつべきなのか―戦前の歴史をふり返ってみたい

 敵の基地を攻撃する。基地だけにとどまらず、敵の中枢となるところまで攻撃する。日本はそれができるようにするべきだ。日本の国の政治家は、講演でそう言っていた。

 敵の基地や中枢を攻撃できるようにすることが日本にはいるのだろうか。与党である自由民主党の政治家が言うように、敵を攻撃できることが、日本の国の防衛のためにはいるのだろうか。

 戦前にみられた危なさが、戦後のいまにおいてもおきている。そう見なしてみたい。その危なさとは、勇ましいことや過激なことを言うことが、人々への受けがよいところだ。それにくわえて、何かを言うことにおける、開示と秘匿の点を見てみたい。

 抑えをきかせたことを言うよりも、勇ましいことや過激なことを言ったほうが人々への受けがよい。人々への受けがよいことがどんどん言われることによって、戦前の日本は戦争へどんどんつき進んで行った。

 政治の二大の要素はお金と語りだ。このうちでいまはお金には日本の国は行き詰まっている。かつてはできたものである利益の分配の政治ができない。いまは語りが悪用されている。人々への受けがよいことを言うのは語りであり、悪い語りがはびこっているのが目につく。

 いまにおいてやらないとならないのは、勇ましいことや過激なことを言うことだとはいえそうにない。人々への受けがよいことがどんどん言われることによって、そのことが受け入れられて、抑えがきかなくなる。抑えがきかなくなって、どんどんまちがった方向につき進む。歯止めがかからない。

 抑制をきかせられなくて、暴走していったのが戦前の日本だけど、それと同じようなことになっているのがいまの日本だろう。その中で、いかに抑制をきかせることができるのかが一つの重要な点だ。たとえ受けが悪くて、耳に快く響かないのだとしても、歯止めをかけるようなことを言って行く。その必要性が高まっている。戦前と同じようなまちがいを再びくり返そうとしているからだ。

 敵を攻撃できるようにする。自民党の政治家がそれを言うのは、開示に当たることだけど、そこには秘匿が関わっている。開示しているのは、秘匿するためなのである。

 秘匿をするために開示をしているのが自民党の政治家である。秘匿しないとならないことがあるために、開示をしている。開示を見て行くだけではなくて、秘匿されていることを見て行くこともやって行きたい。

 秘匿されていることは何かといえば、これまでに自民党の政治家がしでかしてきたいろいろな政治の不正や失敗だ。政治の不正や失敗がいろいろとあり、それらをとり上げられては困る。とり上げられるのを防ぐためには、目先をそらすためにほかのことを開示して行く。国家主義(nationalism)によることを開示して行くことが行なわれることになる。

 人々への受けがよいような、勇ましいことや過激なことを言う。戦前においてそれがおきた。戦後のいまでもそれがおきていて、大衆迎合主義(populism)になっている。受けがよいことが言われているのは、開示に当たり、それは秘匿とつながっている。秘匿したいことに、フタのおおい(cover)をして見えなくさせる。フタがされているのを引っぺがして行くようにしたい。自民党の政治家の負のところを、どんどん見て行き、どんどん批判して行くことが、いまいることだろう。

 参照文献 『思考のレッスン』丸谷才一 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『政治家を疑え』高瀬淳一